『修行道の三要素』 (3)

週末を過ぎて、すでに記憶があやふやになっています。初心者の低いレベルではこのように聞こえる/この程度にしかついていけない場合もある、という程度のメモですので、何とぞご了承ください。

*****(続き・配布テキストの解説)**********
■ツォンカパについて
14~15世紀の人。アティーシャのカダム派を受け継ぎ、ゲルク派を築きあげた。
顕教、密教ともに重用。マルパのカギュ派、サキャ派の教えも継いでおり、宗派を超えて法灯を受け継いだ。
→ すべての派の伝統を受け継ぐことを重視するのはナーランダ僧院の方針でもあり、法王もこれを支持している

(以下 『ダライ・ラマ 〈心〉の修業』マリア・リンチェン訳、春秋社、2002年 を参照)

『修業道の三要素(ラムツォナムスム)』
■第1―2節: ツォンカパによる約束と決意
・どの仏教の教えを聞くにも、偏見や拘りなく耳を傾けよ。
アーリアデーヴァ 『四百論』: 「いずれの教えも知性を用いて分析せよ。そのためには、ひらかれた偏見のない心で聞く必要がある」
→ リアリズムの重要性。現実に即した方法で分析し、判断せよ
釈尊いわく、「金の純度を調べる時には切断したり燃やしたりとあらゆる手を尽くすのと同様に、私の教えについても徹底的に吟味せよ」
→ 正しい分析とは、懐疑的な態度で対象に取り組み、あらゆる疑問に対処すること。すべての疑問を自分の知性で分析し尽くして疑いを晴らした後に、修業に入ることが大切

■第3―5節: 出離の心
・三種の苦しみ(第8節で言及)
 (1) 苦痛にもとづく苦しみ
 (2) 変化にもとづく苦しみ
 (3) 偏在的な苦しみ=釈尊のいう「出離」の対象となる苦しみ
我々の苦しみは、煩悩に汚された心と体によって次々と生じている。
五蘊をもって生まれた以上、煩悩から逃れられないと自覚せよ。
→ 断滅を目指す意思を堅持し、解脱の境地へ

■第6―8節: 菩提心
・菩提心の備えるべき二要素
 (1) 一切衆生への利他心を起こすこと
   そのための方法論として、
   ①自分と他人を入れ替えて考える。
   ②因と果について考察する。〔→輪廻の考察〕
 (2) 衆生救済のために、自分自身が一切智(悟り)の境地に入ること
   そのための方法論として、
   ①自分自身の苦しみの状況を認識する。
   ②他者もまた苦しみに喘いでいることを認識する。
→ 一切の有情への慈しみにもとづき、衆生救済を目的として自己の悟りを求めよ

■第9節以降: 正しい見解 (=空を理解する智慧)
・正しい見解を阻む二要素
 (1) 煩悩
 (2) 所知障: 煩悩が心の中に残す習気(じっけ)、残り香のようなもの。
          煩悩が退治された後に心の中に残される囚われ、妄想など。
→ 「煩悩+習気」をともに滅する力を持つことが、無知を滅し、縁起の理解へとつながる

・煩悩の源の三毒: 無知、怒り、執着。特に「無知」は、煩悩の最大の源。

・ナーガルジュナ 『中論』: 「縁起により生じたものはすべて空である。……」

・空とは、単に名義上の存在。そのように「名指されている」だけのことであり、他者に依存している。

★般若心経の一節 「色即是空 空即是色」は、次のように言い換えることができる。
 ①色即是空 =形を離れて、空は存在しない。また、
 ②空即是色 =空の性質あるがゆえに、形あるものとして(全てが)存在する。
または、
 ①色即是空 =形を離れて存在できない空 と、
 ②空即是色 =空を離れて存在できない形

■第11節
あらわれとは誤りなく縁起するものであり  = 縁起 の理解
 空とは〔自性を〕受け入れないことである  = 空 の理解
 この二つの理解が別々にあらわれている限りは
 まだ成就者〔仏陀〕の真意を正しく理解していない
1~2行目:
あらゆるものは他者に依存しながら存在し、いずれもそれ自身で実体をもって〔自性を備えて〕存在しているわけではない ⇒ 実在論の排除
・「あらわれ」のレベル(世俗諦): 縁起、因果に依っている
・「空」のレベル(勝義諦): 対象には実体がない、と理解する
釈尊の真意を正しく理解するには、この両方のレベルの理解が必要。

■第12節
空の理解によって、縁起の理解も深めることができる。(and vice versa.)
空と縁起を「同時に」理解している状態が、智慧の完成した状態。

■第13節
あらわれによって実在論を取り除き
 空によって虚無論を取り除き
 空が因や果としてあらわれるさまを知ったなら
 もはや極端論にとらわれることはなくなるだろう
1行目: 実在論の排除 (第11節)
2行目: 虚無論の排除
空とは、形ある全ての対象がもつ特質の一つである」ということ。
したがって、「空=虚無」ではない。
モノ(形)がない、という意味ではない。
モノの属性の一つとして、空を捉えること。
4行目: 二つの極端論(実在論と虚無論)の排除


……と、いうことです。
以上、(修業道の)三要素について、よく考えて、精進しましょう(第14節)。

(以上)
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幼稚なメモで、申し訳ありません。自習用のメモを公開する意味があるのかと迷いつつ、さらしています。当日聴講されたかたがた、仏教者のかたがたに、加筆修正すべき点などをご指摘いただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

個人的には最後の部分(「色即是空、空即是色」は等号記号の左右を入れ替えただけではないこと、二つの極端論の排除)の解説で、かなりしびれました。近ごろ仏教の話をなるべく聞きにいくようにしていますが、薄いレースの生地を重ねていくように、先生によって少しずつ説明の仕方が違う。子供の頃から機械的に唱えてきた般若心経の、簡潔な漢詩の裏にこれだけの意味があると知って、ちょっと興奮します。
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by epea | 2009-11-02 23:51 | 仏教関連
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