2006/03/26  Bone/Born to be Cherry


きょう一日で、ずいぶん桜が咲いたね。

お母さん、一年以上もおうちでお父さんを守っていてくれて、ありがとね。

たっくんも、ずいぶん回復してきたよ。
きょう一日、外に出ていて、だいじょうぶだったよ。

みんな、ゆっくりゆっくり歳をとりながら、なおってきているからね。

これからも、見守っていてね。

ありがとね。


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墓石の下の室に骨壷が並ぶのを見て、誰かが石屋さんに「スペースがいっぱいになっちゃったらどうするんですか?」と、ちょっとまぬけなことを聞いた。石屋さんによると、昔のお骨から少しずつ、室の下の土に還すことがある、という。セメントでうってある室もそういう事態を想定していて、床の部分を起こして、お骨や遺灰を土に戻すのは、けっしてめずらしいことではないのだ、と。

儀式が済んだ後の会食の時に、誰ともなく、「それなら、最初から土に撒いてもらってもいいのにね」という話になった。意外なことに、かなり大勢の親族が、その考えに賛意を示す風だった。私自身は、自分の骨をどこかのお墓にとっておいて欲しいとは思わない。死んだ後はどのようにされようとこだわるつもりはないし、今の状態が続けば孤独死になる確率が高いのだけれど(笑)、もし運良く遺族に恵まれて、日本で儀式を執りおこなってくれる人がいるということになれば、できれば自然葬に近いかたちにしてもらい、骨も灰も、何もかも土に還してもらいたいと思う。

変わっている、と思われるかもしれないけれど、私は小学生のころから鳥葬に憧れていた。自分の部屋にこっそりと、鳥葬のポスターを貼っていた。(そのポスターはリバーシブルで、裏面はボロブドゥール遺跡の写真になっていて、こちらも大好きだった。さすがに親が驚くかもしれないと思ったので、ボロブドゥール遺跡の面が表になるようにして貼っていた。) 自分の体なんて、すっかり失くしてしまいたい。つめたい岩場に、どこからか舞い降りてきた鳥が、私の体をつついて、再び空高く飛んでいく、なんて、ぞくぞくするほどロマンチックではないか。こんなつまらない肉が、鳥と一体になってよみがえるのだから。生き物のなかでも、鳥にはどこか特別なところがあるように感じる。飛ぶという行為をはじめ、生きながら魂の象徴と目される、何かがあるように思う。

チベットの鳥葬は、「人は生きていくために食べ続けなければならず、ずいぶんと他の生物のお世話になる。だから、自分が死んだ時くらい、他の生物のためになろう。たいしたお返しはできないけれど、せめてもう用済みになった自分の体くらい、鳥に食べてもらおう」という思想に基づいている、という。きわめて合理的な考え方だと思う。輪廻転生という死生観に沿えば、死んだ後にまで自分の体、骨や灰に執着するのは、おかしなことだ。もちろん、日本人としては、ご先祖様のよすがとなるお墓を大切にしようという心情もわかるけれど、家族や友人の死を幾たりか見送ってきた今の私としては、率直なところ、チベットの人々の死生観の方に、より大きく惹かれるものを感じている。
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by epea | 2006-03-26 18:27 | 日常雑記
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