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2008/07/30 (水) ミンマル・キーパさん&ゲシェー・ガワンさん

この日は近所の雑貨屋のおばあさん、ミンマル・キーパさん(Memar Kyipa)にお話を聞かせていただきました。ぜいたくにも、ゲシェー(仏教学博士)のガワンさん(Geshe Ngawang)にチベット語から英語への通訳を担当いただきました。

ミンマルさんは60年代にインドへ亡命してから、ずっとダラムサラ在住だった方です。お店を通りかかるたびに片言のチベット語で買い物をしている時に、同じ建物に住んでいるガワンさんが話しかけてくださり、「この人は昔の亡命の様子を知っている人だから、話を聞いてみたら? 僕が通訳してあげるから」と申し出てくださったので、ありがたくお願いすることにしました。南インド・セラ寺で博士になられたゲシェーに通訳をお願いするなんてもったいない!と恐縮したら、「いやー僕は、スモール・ゲシェーだからね~」と、気さくなガワンさんです。

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Q. いつ、どのように亡命なさいましたか。

A. 1967年、33歳の時に、夫と2人でインドへやってきました。私はギャンツェの南、ブータンとの国境にきわめて近いファリ(Phari)という街に住んでいたので、まずブータンに入って、首都ティンブーに15日ほど留まっていました。それからプンツォーリンという街に移動して、5ヶ月間ほど過ごしました。そこでは特に何もしていませんでした。

その後、ブータンからインド政府の難民所センターへの連絡が通り、(マナリーに近い)クールーという街に送られました。クールーでは5ヶ月間、道路工事などの建設現場の仕事を与えられました。これはインド政府から紹介された仕事で、強制的にさせられたわけではなく、やりたかったらどうぞ、と紹介された仕事でした。ブータンにいた時は何もすることがなく暇だったので、何か体を動かす仕事をしたいと思ったのです。

クールーでの滞在の後、ダラムサラへ来ることができました。すべて、1967年の出来事でした。

Q. なぜ亡命しようと思ったのですか。また、亡命に危険はともないませんでしたか。

A. 中国の侵攻が始まって以来、1960年代は年々その支配傾向が強まっていました。1959年に法王様がインドへ移られてからは、私の周囲の人々も法王様を追うようにして、年々インドへ亡命していました。当時は特に危ないこともなく、peacefully に国境を越えることができました。私も夫と2人で、平穏無事にインドへやってきました。ブータンも安全でした。

亡命することにした理由は、年を追うごとに、中国によって多くの規則が、しかも従来のチベットの習慣とは相容れない規則が決められて、押し付けられるようになっていたからです。特に農夫に対する規則は違和感の大きいものでした。財産を持っている人は没収され、土地もとりあげられて、勝手に細かく区分けされたりしていました。そうした状況が進むなかで、中国人は信用できない、と思わざるをえませんでした。ですので、ダライ・ラマ法王様の後を追っていこう、と決意したのです。

Q. まだ故郷に残っている親戚やお知り合いはいらっしゃいますか。また、その方々と連絡はとっていますか。

A. 親戚も友達も残っているはずなのですが、ずいぶん長い間、連絡をとっていなくて、生きているか亡くなっているかも不明です。連絡をとる手段がないのです。

Q. ダラムサラでの生活は、いかがですか。もしチベットに戻れるとしたら、どうなさいますか。

A. ここでの生活は、まずまずです。なんといっても法王様の近くに住んでいられるのですから、幸せです。今は引退したような形で、のんびりと雑貨屋の店番をしていますが、ダラムサラに来てからは夫と2人で衣類のビジネスを営みながら、(身寄りのない)甥っ子を育ててきました。ウールを仕入れてセーターを編み、それをインド人に売る、という商売です。それで、家族3人で暮らしてくることができました。こうして生活してくることができて、インドの環境に感謝しています。

そういう訳で、ダラムサラの生活には満足していますが、もしチベットに戻れるとしたら……。ファリは、結婚するまで過ごした街ですから、もちろん懐かしいですよ。年をとるにしたがって、昔のことがますます懐かしく思い出されるようになってきました。ですから、許されるのであれば、もちろん行ってみたいです。でも、行き方もわかりませんし、何よりも中国政府が許してくれるとは思えませんから。

Q. もうすぐ中国でオリンピックが開かれますが、何か感じることはありますか。

A. オリンピックが開かれることは知っていますが、あまり興味はないので、特になんとも感じません。私はこうしてのんびり暮らしていますので、政治の話はほとんど耳にしていないのです。


Q. (ゲシェー・ガワンに質問)TYCはデリーでハンガーストライキを始めていますが、どのようにお感じになりますか。

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A. TYCは、全チベット人の自由・独立を求めています。
一方、政府としては、宗教的な自治権を得ることに重きを置いているようです。アピールの方法としても平和的なマーチぐらいで、ハードなデモは望んでいないと思います。

TYCでは、チベット域内と亡命チベット人、すべてのチベット人にとっての利益を目標にしているようです。が、これは難しいことだと思います。私個人は、法王様の方針・政府の方針に従いたいところですが、政府が中国と行ってきた交渉にも実質的な成果がなく、こちらも難しい状態になっています。

ただ、確信をもって言えるのは、法王様は行動やお考えを発表される上で、善を貫いておられる、ということです。法王様は、「チベット人だけでなく、中国人を含めて世界中の人々にとっての善」という観点で、常に発言されてきています。むしろ「人間にとっての善」だけでなく、「すべての生ける存在にとっての善」について、考えておられます。

仏法では、リーダーとは「人々に善を示す者」を指します。
世界各国のリーダーの方々には、お金や名声に執着せず、「自国の人々の日常生活にとって善いことは何か」をまず第一に考えていただきたいと思っています。いま現在の経済問題だけでなく、(仏教で説かれるように)未来を含めた視点から、物事を考えて欲しい。未来にわたっての善とは何かを考えていただけるよう、希望しています。

(インタビューは以上)

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お話を伺っている間、ツジイマンさんに撮影をお願いしました。ツジイマンさん、長い時間、どうもありがとうございました。
ツジイマンさんは、ちょうどこの3月からダラムサラに滞在して、こちらの状況をつぶさに見てこられた方です。まだ当分は旅人として旅行を続けるそうですが、日本に戻られてからは、音楽・映像プロデューサーとして活躍されることと思います。彼ならきっと、チベットをテーマにした映像・映画をひろく流通させるべく尽力してくれる! 力がある! と信じています。
ツジイマンさん、これからもいい旅をして、広く世界を見て、日本に戻ってから、その貴重なご経験を生かして活躍してください。応援しています!
by epea | 2008-07-30 23:55 | インド関連
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