2008/10/25 (土) 写真家・野田氏の講演概要(禁・転載)

(こちらの記事は、一聴講者としての私が独断で記録したものです。ですので、
申し訳ありませんが、以下の内容は転載なさらないようお願いいたします。 10/30 AM11:00)

(追加して、一部順序を入れ替えました。 10/29 AM 1:10)
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チベットを何度も取材されているフォトジャーナリスト野田雅也氏によるトークショーに行きました。興味を持つ方がいらっしゃるようなので、概要を記しておきます。
(スライド上映のために真っ暗にした会場でとっていたメモなので、自分の字ながら今ひとつ判別不能。以下はあくまでも参考までということで、詳しい情報に興味のある方は、野田氏に直接お問い合わせください。たいへん親切で、心優しい方です。)

〔〕はスライドの内容ですが、以下に書いたよりもずっとたくさん見せていただきました。全部はとても書ききれないので、かいつまんだメモにてご容赦のほど。

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■僧院・仏教文化の破壊
〔2000年冬、東チベット、ラルン・ガル僧院の僧房群。すり鉢状に緩やかに広がる土地に数千もの僧房(6000、7000~一万だった、との説もあるほど)が集積していた当時のスライド〕
当時、高僧ケンポ・ジグメ・プンツォクを慕って僧侶達が集まり、僧房の規模が拡大していた。この状況に脅威を感じた中国政府は、この写真を撮影したおよそ半年後に、約3000戸の僧房を破壊、6000人が追放された。
〔2001年6月末~7月初旬、僧房が破壊されているビデオ。尼僧による撮影?を野田さんが入手したもの〕

同様に、文革時代にはチベット全土で6000以上の寺院が破壊されている。

〔競馬祭で、僧侶が赤いスローガン付き横断幕「愛国愛教団結進歩」を持たされて入場させられている場面〕
(神奈川県での写真展でも展示されていた写真で、これを見た途端に涙が噴き出してきた。ゲルクのお坊様にこんなことをさせるなんてナンセンスも甚だしい。絶句。)


■遊牧民・遊牧文化の破壊
〔ジェクンド、政府が遊牧民を収容するべく建設した集合住宅〕
チベット人には、ここに入居すれば補助金90万元を支給すると告げ、実際には入居手数料として半分差っ引き、45万元を渡す。が、実はその45万元も「貸し付け」、という罠で、チベット人が借金を背負わされる仕組み。この二年間でのべ57万人が定住。

〔かつてのジェクンド、緑なす山あいに遊牧民の住居が美しく溶け込んで点在している光景〕


■核汚染
〔ビルの立ち並ぶシーハイ中心街、街周辺の荒野など〕
青海湖のほとり、かつて「第九研究所」と呼ばれた場所(当時は「存在しない扱い」だった)が、現在はシーハイという都市になっている。1964年~87年にかけて、原爆をはじめとする様々な核実験が行われていた。
1966年 原爆実験
1967年 核弾頭実験
1970年 原子力潜水艦実験

1986年 実験終了
1992年 軍の撤退

軍が撤退した後も、多くの金属のくずが残されていたが、それらは(放射能汚染の恐ろしさを知らされていない)チベット人が持ち帰っていった。
計7ヶ所の施設を含め、現在は観光地となっており、核実験の模型などを展示する博物館がある。

このあたりは菜の花の名産地とされており、ブランド名「シーハイ」の菜種油が販売されている。

〔核実験の跡地がそのまま住居になっている光景。核爆発の影響で盛り上がったような土壁、その内部が部屋として使われている様子など〕
現地の人々の多くは「キノコ雲を何度も見ている」と当たり前のように語るが、核の実態についてはほとんどまったく知らされていない。なんとなく毒がある、と感じている程度。そのため、爆破実験の跡地の残骸のような場所を私物の倉庫にしていたり、住んでいる人々もいる。
歯の生えない羊が生まれて、食べることができずに死んでしまう。あるいは、下の歯が異様に長く伸びたために自分の口を破ってしまう羊もいる。
政府は何度もサンプリング調査を実施しているが、住民には「シーハイから約3キロ離れた地点にある錫工場の影響」と説明している。

何度もキノコ雲を見たという、ある青年へのインタビュー。
「(政府・軍当局関係者?に指示されて)汚染された土を青海湖や付近の川、山の向こうなどに、何度も廃棄している。だがこうしたことについては、オリンピック前に軍がやってきて緘口令が敷かれたため、話してはいけないことになっている。毎年、軍が来て調査している。政府は地元チベット人に土地(に住む権利?)を安く売り、定住を奨励するために補助金を出している」

International Campaign for Tibet の調査によると、シーハイ付近のリシュク村とガンジー村における癌の発生率が高い。

中国政府は、原子力発電所を現在10基から120基に増やす計画を立てている。
核廃棄物が現状のままチベット高原に廃棄され続けていくのであれば、水源地の汚染はさらに進み、影響はアジア全域に及ぶ。(すでに影響は及んでいるはずだが、汚染の程度はさらに著しく拡大するとみられる。)


■ラサの変貌
ラサでは「漢人を住み易くするための社会的基盤の転換」が大幅に進んでしまっており、もはや不可逆の現象に思われる。今年三月以降、ラサではチベット人が明らかに少なくなった。また、チベット人がラサに戻ろうとしても、戻ることのできる場が完全に失われている(漢人による住宅や職業の占拠、生活費の高騰etc)。

〔ポタラ宮殿の麓に「祖国万歳」と巨大な花文字の植え込み、手前中央には中国国旗を掲げたポール〕
〔大通り上に、これでもかと翻る数多の共産党スローガン付き横断幕〕
〔シャネル、サン・ローランなど西欧ブランドの大看板が連なる街角〕
〔新しいマンション棟が立ち並ぶラサ市内/近郊〕
〔旧市街のアパート、一戸一戸の窓から下げられている中国国旗〕
〔旧市街の建物の間に設置されている監視カメラの数々〕

〔ラサ近郊の漢人富裕層向け住宅街〕
プール付きの広い豪邸、一棟5000万円前後也。陽光降り注ぐカリフォルニアの邸宅街を真似たように見えるが、あからさまに画一的な邸宅が並んでいる様は不気味。

現在のラサ人口35万人中、漢民族が20万人、チベット人が15万人と、すでに人口比において漢人がチベット人を圧倒。中国においては、土地は国家のものであり、国家からの指示に個人は抵抗できない。ラサについては2006年がターニングポイントだったのではないか。民工に資金援助が出たこともあり、ラサへの漢民族の流入が急増。ラサ都市計画は2007年から本格化している。

街中には軍人達が巡回警備しており、監視カメラが至るところに設置されている。タクシーの中ではバックミラーの根元に付いている。カメラ設置を義務付けられており、付けていなければドライバーが罰金を取られるが、設置に要する費用はドライバー自身が支払わなければならない。

〔バルコルを巡回する装甲車〕
〔用途・目的が謎の装甲車〕
〔国慶節パレードの後、ポタラ宮の裏に止まっていた『特警』車。今年3月10~14日頃に街中に繰り出していた装甲車と同型のもの〕
〔デプン寺前の巡礼者と、監視する軍・警察関係者〕

かつて四千~五千人の僧侶が修業していたデプン寺には、去年の時点で五百人が残っていたと言われているが、今回のラサ滞在中(9月半ば~10月)に訪れた際には22人しか見かけなかった。読経の声も聞こえず、静まり返っていた。

ある青年へのインタビュー。
「ラサにいるすべてのチベット人は家宅捜索を受け、出身地をチェックされた後、『地元へ帰れ』と指示される。だが、地元に帰っても仕事がないし、収入がまったく得られない。そこで都会へ職探しに行くが、チベット人のIDカードを見せた時点で拒否される。自分の場合、7ヶ月間かけて探してようやく見つけたのが、遠隔地にある某都市でのテレビ工場の仕事だった。熱い蒸気にさらされるなど過酷な労働条件で、二週間ほどで体調をこわしたので休もうとしたら、クビにされた。2万5000円相当の月収だったはずが、まったくもらえなかった。地元からその都市へ行くために、旅費や滞在費も借金して出てきたのに。これで自分の借金は合計で10万円相当に膨らんでしまっている。」

↑ こういう形でチベット人が借金を背負わされていくケースが非常に多い、と感じた。
彼らはこの先、どう考えてもチベットにはとどまれない/ラサに戻ることもできない。
漢人向けに社会基盤が変わってしまっているから。

外国へ行きたいと思っても、役人に数年間、賄賂を支払い続けなければならない。
だがそれ以前に、チベット人に海外渡航用のパスポートが許可されること自体がきわめて難しい、まず考えられない。
(合法的に外国へ逃れられないのであれば)亡命したい、と思っても、今となっては大量の軍隊が国境地帯を固めている。

かつては明るい青年だったが、2年ぶりに会ったところ、一気に歳をとってしまったように見えた。

「チベット自体が、巨大な監獄になっている」
「チベットにはもう、チベット人はいらないんだ」


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ざっと以上のような感じでお話しいただきました。
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by epea | 2008-10-26 01:10 | チベット・中国関連
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