2008/11/4(火) ダライ・ラマ法王 福岡講演の概要

ここで私ごときが書かなくても、熱心な皆さんがアップされると思うのですが、リクエストをいただきましたので、僭越ながらメモさせていただきます。

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設立35周年 福岡県仏教連合会「いのちとこころ」講演会
ダライ・ラマ法王 来日特別記念講演
演題「幸せへ導く、慈しみのこころ ~ Compassionate mind, a key to happy life」


【全体の流れ】
   開会
1. 主催者:福岡県仏教連合会会長・三笠和雄氏による挨拶
2. 全日本仏教会会長・松長有慶氏より祝辞(電報)
3. 世界平和祈念法要
    金剛流御詠歌および般若心経唱和(日本語)
4. 在米日本人ダムニェン奏者・タシ・クガ氏による「チョラタシ」演奏献上
5. ダライ・ラマ法王 特別記念講演
6. 質疑応答
7. 地元の小・中・高校生による法王への花束贈呈
8. 法王より、主催者・関係者・手話通訳者らへのカタ贈呈
   閉会


【法王 講演内容】

・(最初に、ナーガルジュナによる釈尊への偈頌、
数多の徳のなかでも特に慈悲を讃える偈をお唱えになる。中論の一部より)

・私は特別な人間ではない。五感、自分という意識を持ち、苦しみを離れたいと願い、幸せを望んでいるという点で、皆さんと同じ。ここでは一人の人間として、心における苦楽の体験について話します。

・高野山僧侶の皆様の御詠歌を聞き、心から釈尊の加持を頂いたと感じた。私も皆さんと同じ、釈尊の弟子の一人。経文を唱えることは智慧を高めることに繋がる。

・日本の密教の特徴:大日如来を信仰、二種の曼荼羅(金剛・胎蔵)、ナーガルジュナ、ナーガボディの流れを汲む ⇒ チベット仏教・秘密集会と同様
昨年の来日時には、護国寺でナーガルジュナが金剛杵を握っている仏画を見(チベットのタンカにはない図柄)、日本における仏教の広まりを感じた。

・しかし今日はそういった宗教的観点からでなく、「心の幸せ」をテーマに一般的な話をしたい。


■苦しみ について
・すべての有情には「自分」という意識があり、苦しみから離れたい、と望んでいる。人間にかぎらず、虫や動物を含むあらゆる生物が、そのように感じている。また、幸せをつかむ権利がある。

・人類もまた苦しみを取り除きたいと願いつつ努力を重ねてきたはずであるにも関わらず、苦しみは存在し続けている。しかも、ほとんどの苦しみは人間が作り出してきたものである。

・苦しみには2つのレベルがある。
(1) 肉体レベル
(2) 精神レベル

・動物達も苦しみから逃れたいと望み、そのための努力をしている。
だが人間には考える能力・精神活動が備わっているため、(その場かぎりの努力しかできない動物とは違って)長期的視野に立って努力することができる。その反面、人間には、精神レベルにおける苦楽の影響が大きい。

・2つのレベルの苦楽は感覚器官を通じて発生し、私達はそれを認識している。たとえ肉体レベルに問題がなくとも、心の中に不安がある時、人は精神レベルにおいて乱される。

・2つのレベルを比べると、精神レベルの苦しみの方がより大きい影響を与える。たとえ肉体レベルで不調でも心に満足感があれば、体の苦しみは乗り越えることができるが、その逆は難しい。

・現在のように物質的に発達した時代にあっても苦しみがなくならないのは、物質的な発展は肉体レベルの改善には役立つが、心の改善には必ずしも結びつかないからである。
たとえ億万長者でよき友人に恵まれていても、その人自身の内面的な発達がなければ、苦しみからは逃れがたい。

・概念作用によって生じる心の中の不幸は、概念作用によって精神苦を滅しないかぎり、なくすことはできない。
心の平安は、お金で買えない。医者にも治せない。薬や飲酒などで一時的にやりすごすことはできても、根本的に癒されるわけではない。
⇒ 内なる苦しみを解決するには、自分の心の中に善き変容をもたらすしかない。


■心と感情 について
例) 花 は、さまざまな微粒子/細胞から構成されている。
 -ある部分は、大きく成長するため
 -ある部分は、成長を妨げる要因とたたかうため 

 雪国に育つ草木には雪に耐え忍ぶための性質が備わっているから雪の中でも育つのであり、雪のない国の草木を雪国に持ってきても育たないのは、そのような雪の中でも育つための性質を持たないからである。
つまり、「生きるための本質的な力・逆境を乗り越える力」は、植物のような「心」のない存在にも、さまざまな形で・それぞれの特質でもって、備わっている。

同様に、我々の肉体も
 -体を成長させる力
 -体の成長を妨げる要因とたたかう力(病原菌に対する免疫力など)
を備えている。

同じ二面性が、感情についてもいえるのではないか。たとえば、
 執着: 対象を魅力的に感じる → 自分に引き付けたい
 怒り: 対象が自分に害を与える、と感じる → 排除したい
こうした感情は、
 -自分が生き延びるため
 -自分が生き延びるのを妨げる条件とたたかうため
に生じている、と解釈できる。

・心が肉体レベルにも変化をもたらすことについては、科学的に実証されている。たとえば、
 恐怖が生じる時: 対象から逃げたい → 脚に血液が集中する
 怒り が生じる時: 対象に訴えたい → 手に血液が集中する

・一方、欲望とは、対象を自分に引き寄せたいという感情を伴うが、これについてはある程度は必要であると思われる。
たとえば、「悟りへの熱望」がなければ、永続する悟りに至る境地を引き寄せることはできない。
怒りについても、自分に害をなすものを退ける、という点で、生きていくうえである程度は必要。

・ただし、「煩悩的な欲望」は一時的な感情であり、無明とともに生じるという点で、「悟りへの熱望」のような、適切な欲とは異なる。

・心の中には、さまざまなレベルの感情が存在する。
怒りとは、往々にして 「害をしりぞけたい」 プラス 「無明」 であり、「利他」ではないため、他者を害してしまう。
つまり、「生きていくうえでの逆境を乗り越えたい」という気持ちのみであれば、生き延びるための力として肯定されるが、これに「無明」が加わってしまうのが、よくない。

⇒ 「害」や「逆境」は、「正しい智慧」とともに排除されるべきである。
そのためには、正しい判断が必要となる。

⇒ その感情が、
  「生き延びていく/逆境をのりこえる ための熱望」 プラス 「智慧」 かどうか、判断せよ。


■愛情と慈悲 について
・愛とは、自分に必要なものを引き寄せたい、という力/感情。
ここに「無明」が介在すると、偏見が混ざってしまう → 執着 となる。
すべての有情が幸せになることを望むのが、真の愛情。
一切の偏見が混ざってはいけない。
愛と偏見を混在させてしまうことにより、害悪が生じる(執着、欲望、etc.)。
(とはいえ、そんな「愛情」をはぐくむなんて、たいへん。。)
⇒ そのための心の訓練にこそ、論拠の支えによる「智慧」が必要。

・二種類の慈悲   《法王様、なぜかここから、チベット語→英語にシフトされました》
(1) 偏り(偏見)のある慈悲 (Biased Compassion)
  親しい人を対象に自然にわき上がってくる慈悲や愛情。一種の偏見に基づいている。
  いわば、対象の「態度」に左右される。
  敵に対しては、その敵のもつネガティブな態度により、慈悲を抱くことができない
  → 偏りのある慈悲 の枠内に限定されている。

(2) 偏り(偏見)のない慈悲 (Unbiased Compassion)
  対象の「態度」によるのではなく、「存在それ自体」により生じてくるもの
  ⇒ したがって、敵にも及ぶ。敵に対しても慈悲をもつことができる。
  より高いレベルの慈悲、限りのない愛情といえる。

・「偏見のない慈悲」を育むには、論理にもとづいた精神的なトレーニングが必要。
まず、自分自身が苦しみを望んでいないことを再認識し、その感覚を他者にも敷衍するように心がけよ。

・「偏見のない慈悲」をはぐくむための3つの方法
(1) 一神教の宗教に基づく方法(キリスト教、イスラム教など)
(2) 無神教の宗教に基づく方法(仏教、ジャイナ教など)
(3) 世俗の倫理観に基づく方法

現代は科学の力により、他者への思いやりが健康にもよい、といったことが検証されている。
自分の心が開かれていれば、相手を思いやり、不安は消え、心の平安が高まる。
逆に、互いに不信感を抱いていれば不安感・孤立感からうつ病を生じるなど、医学上でもデメリットが実証済み。
よって、(3)の方法であっても「偏見のない慈悲」を育むことは可能であり、現代社会において、心を開くこと(Open-mindedness)の重要性は増してきている。


《講演は以上。次いで、質疑応答セッションへ》
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by epea | 2008-11-04 21:40 | 仏教関連
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