かわいそうということ

Amazonの感想が着実に増えている。また一方で、PRサイトにだけ載せて欲しいと、わざわざmixiでメッセージくださる人もいる。ありがたいことと感じる。

Amazonの感想を読んでいて、法王事務所のHPで「人権問題」のコーナーがまとまっていたことを思い出し、PRサイトのリンク集のページに《公式情報》として慌てて追加した。法王事務所サイトの人権問題コーナーは、PRサイトを作り始めた時にまずは最初のコンテンツとして、独立した記事として掲載していたのだけれど、今はすっかり埋もれてしまっているので、これこそリンク集の上の方に載せておかなければ、とようやく思いついた次第。

黙って成り行きを見守ってくださり、アマゾンに感想を投稿して下さったり、密かに応援くださる方々にお礼申し上げます。

一言でチベット支援と言っても、(政治上の主張の相違を抜きにしても)様々な立場があるということをあらためて実感している。先日、ある方から次のようなメッセージをいただいた。

「……(チベット支援者といわれる人々が)我が身の名誉欲や法王様とのつながりばかりを求めるのではなく、真にチベットへの思いからの支援でつながれますように……」

はっきり言って、私はスピリチュアルな話は好きではありません。限りなく詐欺やまがい物に近いからというだけでなく、ある特定の事柄が神秘なものとして持て囃されるにはそれが「奇跡」とよばれうる程度に起こる確率・頻度のきわめて稀少なることが必要条件とされるのでしょうが、一般にスピリチュアルなこととして喧伝されている多くの事柄は少なくとも私自身の知る範囲においては、実態としてそれほど珍しい現象でもなく、各人が感覚的に察知できるかできないかの隙を突いたからくりであったり、ランダムに発生している事象どうしに格別の意味を見出したり関連付けを行った末の解釈を披瀝している場合が多いように見受けられるからです。とはいえそこに商機を見出して生業とする傾向は、超感覚的な経験を求めて一定の対価を支払いイベント等に参加することで心の満足を得る消費者からの需要がある限り、自然発生的に生じてしまうのが当然の流れかもしれないなぁとも感じています。個人的には、高貴な人の徳目は神秘性の有無とはまったく関係のないレベルで、現世におけるその人としての振舞いを積み重ねてこられた実績そのものが、過去の偉大な碩学か仏性そのものの転生者であると否とを問わず、生身の人間としての次元において既に尊いものであるということを、忘れずにいたいと思います。

日曜の講演会で、渡辺一枝さんに聞いた話。街中で、中国人の商人によって水桶で売られていた生きた魚を「かわいそう!」と買い取って、川に逃がすというチベット人。……ここまでは私も聞いたことがあったけれど、この先を聞いて中国商人の逞しさに驚いた。彼らは川で待ち受けていて、チベット人が放流するその傍らから魚を釣り上げ、また街中へ売りにいく、というのだ。これぞ文字通りマッチポンプ状態!(笑) それを見ていた一枝さんが怒りをあらわにすると、一緒にいたチベット人が次のように言って諌めたという。

「あの人に怒りを抱いてどうする? 自分の心を平らかに持っていなければいけないよ。
あの人たちは、ああいうことをしなければ生活の糧を得られない、かわいそうな人なんだよ。
だから、あの人たちのために祈ってあげなさい」

このような、常識の物差しでは計り知れない徳の高さと対峙させられる時の懼れにも似た感情が、中国政府をして現在の蛮行に走らせる一因になっているのかもしれない ―― といった洞察を一枝さんは示されていて、なるほど、と感じ入りました。
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by epea | 2009-02-12 00:59 | 『雪の下の炎』 復刊
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