Wall Street Journal: ギャロ・ドゥンドゥップ氏インタビュー

ウォールストリートジャーナル紙2/20掲載の、ダライ・ラマ法王兄君ギャロ・ドゥンドゥップ氏へのインタビュー。

Phayul記事の翻訳で孤軍奮闘なさっているJiro Siwakuさんより声をかけていただき、チベット系のML用に大急ぎで訳したものですが、こちらにもご参考までに転載しておきます。(あまりよろしくない日本語で、すみません。)

ちょうどジャムヤン氏のエッセイにおいても触れられていましたが、このインタビューでドゥンドゥップ氏は50年~60年代にかけて行われたとされる、チベット武装抵抗運動へのCIAの関与について答えています。 また、(ジャムヤン氏が疑問視している)鄧小平氏との「約束」についても回想しています。

なぜ、今このタイミングでWSJにドゥンドゥップ氏のインタビューが掲載されるのか、少し気になるところです。

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=23866&article=Gyalo+Thondup%3a+Interview+Excerpts
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ギャロ・ドンドゥップ氏 インタビュー抜粋
Gyalo Thondup: Interview Excerpts
Wall Street Journal[Friday, February 20, 2009 13:59]

WSJ紙との一連の独占インタビューにおいて、ギャロ・ドゥンドゥップ氏は現代チベットにおける自身の画期的な役割について明かし、北京(中国政府)と自身の弟であるダライ・ラマ法王との間に広がる亀裂を収めようという長年の努力について語った。ウォールストリート・ジャーナル紙がPage One article において(訳注・全文読むには購読が必要)、武装チベット人による中国支配への抵抗運動を組織したドゥンドゥップ氏の役割について紹介する記事を出した数週間後に、80歳であるドゥンドゥップ氏は当インタビューで話すことに応じた。

氏はインドのヒマラヤ山麓にある質素な家――昔サンフランシスコを訪れた際に200ドルで購入した建築プランで建てたという――に記者を招き、中国との交渉にまつわる回想を語った。

1940年代初め、チベット摂政より中国語(北京語)と中国史を学ぶべく派遣され、中華民国政府の首都に赴いた時について:
「14歳で私は南京へ勉強に行きました。中国の一般の人々から、どこから来たのかと尋ねられたものです。私がチベットから来た、と答えると――彼らは私を見て言いました。『チベット? どこにあるんだ?』」

中華民国・国民政府指導者だった蒋介石との謁見について:
「南京にある彼の家に、晩餐に行ったものです。彼は、私が中国について学ばなければならないと告げました――ダライ・ラマが権力の座に就いた時、非常に重要な役割を担うだろうから、と。『中国政府はチベット人が外国勢力に搾取されるのを望まない』と、彼は言いました。飾り気のない、正直な人物でした」

1949年、中国共産党が権力を掌握した後にチベットに戻って:
「軍部がアメリカのスパイを壊滅させようとしていました。二人のチベット人摂政がアメリカの手先として糾弾されました。私は、彼らはとても正直な人間だと軍の将校らに告げました。彼らはアメリカに行ったことはなく、アメリカに行きたいとも思っていない。アメリカが地図上のどこにあるのかすら知らない。私は中国政府に、間違った非難・告発を行わないよう要求しました。この非難が悪い影響を生み出し、チベットの大衆が中国に対する反感を抱くようになったのです」

なぜ、後の1950年代初期にインドへ逃れたのかについて:
「私は、わが民に対立する協力者、自分の良心に反する協力者になることはできませんでした」

CIAと連携し、1950年代後期に始まったチベット域内における武装抵抗運動の組織を支援したことについて:
「私はけっしてCIAに武力による支援を仰いだことはありません。政治的な支援を求めただけです。私はチベットの状況をできるだけ広めたかった、ちょっとした騒ぎを生み出したかったのです。アメリカはチベットを独立国にするための支援を約束してくれました。ですが、こうした約束はすべて破られてしまいました」

CIAとの協力関係が(1960年代後半に)終わった後に感じたことついて:
「アメリカはチベットを助けたいわけではなかった。ただ、中国に対して問題を起こしたかっただけだったのです。チベットに関して明白な将来像を持っていたわけではありませんでした。私はこの(秘密活動)訓練を受けることはありませんでした。私達はパワーポリティックスについて無知だったのです」

CIAの作戦におけるダライ・ラマの役割について:
「ダライ・ラマに対して、私が個人的に関わることは決してありませんでした。ダライ・ラマ法王は(1959年に)インドへ脱出する後までは(CIAの作戦について)何も知りませんでした。私は、絶対に家族を自分の職務に巻き込むまいとしていました」

チベットにおいて、アメリカではなくソ連との協働に関するKGB将校との会話について:
「彼は『あなたはずっと暗闇にいて、まもなく売られてしまうだろう(訳注・You'll be sold
out:「金で身柄を売買される」の意か?不明です)。もし我々が助けると約束すれば、我々は助けます』と、私に告げました。私は彼らの関心に感謝を述べた後、アメリカ人達に、ロシアが支援を申し出てきた、と話しました。CIAはショックを受けたに違いありませんが、彼らは沈黙を守っていました」

CIAの支援を受けたチベット武装レジスタンスを回想して:
「CIAによる支援が有効だったとは言えません。彼らに提供されたどのような支援であれ、それは中国を大いに刺激しました。報復を呼ぶことになったのです。このことについて、非常に悲しく感じました」

1979年、上記の武力闘争運動があえなく収束した後に香港で暮らしていたドゥンドゥップ氏に、中国政府役人が接近した。彼らは中国の指導者鄧小平との会談を提案した:
「私が行くなら、まず弟の許可を得なければならない、と告げました。法王は次のように言いました。『あなたは応えなければなりません。自分自身の資格において、行ってください。行って、話を聞いてきてください』」

中国最高指導者、鄧小平氏について:
「彼は私に、どんなものであれ過去は過去、と述べました……独立を除いては、いかなる事柄も話し合いの対象になる、と」

ドゥンドゥップ氏はそれから、中国のチベット域における政治・文化・宗教上の自治を拡大するべく、14年間にわたって公式・非公式の中国との会談を行ってきた。会談は失敗に終わり、ドゥンドゥップ氏は弟の特使としての役割から退いた。
「1993年、私は中国政府に対して、無意味だと告げました。それは、片手で拍手しようとするような試みでした」

しかし、拡大されたチベット自治という変わらぬ目標を心に抱いて、ドゥンドゥップ氏は中国政府官僚とのコミュニケーションの経路を保持している。
「彼らが目覚めてくれることを望んでいます。時は訪れました。さもなくば、私は将来を予言することなどできません。もし彼らが私との会談を再開したいと望めば、私はすぐにでも行くでしょう」

(以上)
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Siwakuさんに要請いただいた時、ちょうどジャムヤン氏エッセイの最後の部分を翻訳していたところだったので、もしかしてSiwakuさんはこちらのブログを見て、内容の関連性を考えて声をかけてくださったのかと思ったのですが、そうではなく、単なる偶然だったみたいです。ちょっと不思議なタイミングでした。
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by epea | 2009-02-22 22:32 | チベット・中国関連
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