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ロサルの贈り物 (2)

ジャムヤン・ノルブ氏のエッセイ、"A LOSAR GIFT FOR RANGZEN ACTIVISTS"の最後の部分です。
先日訳した最初の部分の後に、昔の地図や切手やパスポートなどなどの図録が続き、その部分は画像がおのずと語っているわけですが、最後にまた少し文章が出てきますので、それも追加しておきます。
(前半部分とは、後日いっしょにまとめます。)

欧米人のみならず中国人の研究者の中にも、偏りのない学術的な視点から、チベットが中国とは質的に異なる独立国であったと著作において明言していた人がいらっしゃるのですね。

出展の注をずらずらと入れてしまって、うっとうしかったらごめんなさい。けれども、ジャムヤンさんはこの短いエッセイを一つ書くにも、ことランゼンに関しては、これだけ過去の文献を調べつくして裏づけをとったうえで意見を発表なさっていることが伝わってくるように思います。氏のこうした姿勢を尊重したいと考え、元のサイトから出展の注も引き写しさせていただきました(訳した文中に対応する部分のみ)。ご了承ください。


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独立国家チベットの証人

チベットが独立した平和国家であったという事実は、偏見のない西欧人多数(注47)によって証言されている。彼らは侵攻を受ける前のチベットを訪れていたのみならず、彼らの回想録のタイトルが示すとおり、相当の期間チベットに住んでいた――デビッド・マクドナルドによる『チベットの20年』(注48)、ピーター・アウフシュニーターによる『チベットの8年』(注49)、ハインリッヒ・ハラーによる『チベットの7年』(注50)。第一級のチベット学者ヒュー・リチャードソンは全部で8年間チベットで生活し(注51)、この国が秩序をもって平和に成り立っており、政治的独立や文化的な蓄積から成り立つ長い歴史を持っていることを明らかにした。
もう一人偉大な学者であり外交官だったチャールズ・ベルは「イギリスにおけるチベット政策の立案者」といわれているが、イギリスとアメリカがチベットの独立を認めることを拒否していた(しかし時として自国に有利である場合は事実上黙認していた)のは、概して「中国における自国の利益を増大させたい」という希望によるものだったと確信している(注52)。

中国による発行物においてチベットを悪者扱いしているプロパガンダの伝道者の中には、かつてのチベットの暮らしを見たことのある者は一人もいないことが、ほぼ確実になっている。実際に、北京に利用されているチベット・プロパガンダの西欧人達(マイケル・パレンティ、トム・グルンフェルド、バリー・ソートマンほか・注53)は誰一人として、1980年以前のチベットを訪れていない。彼らはイギリスのジャーナリストや役人達(L.A.ワデル、パーシバル・ランドン、エドムンド・キャンドラー、キャプテンW.F.T.オコナー)の言葉を引用して、かつてのチベット社会や政府についてしばしば歪んだ情報を伝えている。だが、上記のイギリス人達は、1904年のイギリスによるチベット侵攻に随行して、チベット社会や制度を悪者扱いすることで、その暴力的で帝国主義的な侵入を正当化しようとした人々だった。

学術的な実績があり、多少なりともかつてのチベットで過ごした経験のある唯一の中国高官はシェン・ツンリン博士であり、ラサにおける中華人民共和国の代表だった(1944-1949)。その著作『チベットとチベット人』において、シェン博士はチベットについて明らかに中国とは異なる国であるとし、「……1911年から完全に独立してきた」国家として記述している。彼は誠実に、階級制に基づく保守的な社会を「数世紀も前の化石のようだ」と評しているが、人々は秩序正しく穏やかで親切である――ただし「悪評高い係争者」であり、「これほど雄弁な申立人達は、世界でもめったに見たらないだろう」と付け加えている。シェンはまた、次のようにも述べている。「請願は論争者の属するどの役所に対して提出されてもよく、またはダライ・ラマやその摂政に提出されても許される」(注54)


出展:

(注47) Statement by Westerners who visited Tibet before 1949 (London13 September 1994). Mr Robert Ford, Mrs Ronguy Collectt (daughter of Sir Charles Bell), Dr Bruno Beger, Mr Henreich Harrer, Mrs Joan Mary Jehu , Mr Archibald Jack, Prof. Fosco Maraini and Mr Kazi Sonam Togpyal of Sikkim. http://www.tibet.com/Status/statement.html
(注48)David, MacDonald. Twenty Years in Tibet. New Delhi: Vintage Books, 1991. (first published 1932). pg 287.
(注49) Brauen, Martin. Peter Aufschnaiter’s Eight Years in Tibet. Bangkok: Orchid Press, 2002.
(注50) Harrer, Heinrich. Seven Years in Tibet. London: Rupert Hart Davis, 1953.
(注51) Richardson, H.E. High Peaks Pure Earth: Collected Writings on Tibetan History & Culture. London: Serindia Publications, 1998.
Richardson, H.E. Tibet and Its History. London: Oxford University Press, 1962.
Richardson, H.E. and David Snellgrove. A Cultural History of Tibet. London: George Wiedenfeld & Nicholson,1968.
(注52) Bell, Charles. Portrait of a Dalai Lama: The Life and Times of the Great Thirteenth. Boston: Wisdom Publications, 1987. pg 396.
(注53) Norbu, Jamyang. “Running-Dog Propagandists” Phayul.com, [Monday, July 14, 2008 09:37],
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=21945&article=Running-Dog+Propagandists+-+Jamyang+Norbu&t=1&c=4
(注54) Shen, Tsung-lien and Shen-chi Liu. Tibet and the Tibetans. California: Stanford University Press, 1953. pg 112.
by epea | 2009-03-02 21:09 | Jamyang Norbu
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