SFT Japanイベント「チベット・抵抗の50年」

3/7(土) 夜7時~  SFT Japan主催 
「チベット民族蜂起50周年記念イベント『チベット・抵抗の50年』」 のメモ。

いつのまにか割り当てられていた司会業、今回が二度目。このイベントの手伝い志願した時にはSFTJの皆さん、すでに相当忙しそうで、手伝い表明した以上わがまま言うのもはばかられ、逃げ切れなかった。でも今回は講演者が少なかったので、途中で頭の中が真っ白になって立ち尽くすことなく終了し、ほっとする。

プログラムは、日本語字幕の入った『Undercover in Tibet チベット潜入』の上映からスタート。
この映像は昨年3月、ちょうどあの蜂起のあった2週間後というどんぴしゃなタイミングで、イギリス・チャンネル4で放映されたのだそう。イギリスに亡命して10年、イギリス国籍も取得しているチベット人青年タシ・デスパ氏が、見つかったら逮捕拘束拷問の危険性も覚悟のうえで、本土に潜入して数ヶ所の地域の人々を秘密裏に撮影したドキュメンタリー。ラサのような大都市から地方の街(強制移住させられた遊牧民の人々の村など)にいたるまで、実質的な戒厳令が厳格に敷かれており、人々が軍の監視に心底怯えきった状態で暮らしている様子がよくわかる。それでも告発のために勇気をふりしぼり、夜中や人目につきにくい街外れなど細心の注意を払って場所を選び、顔を隠してタシ氏のインタビューに答える人々。当局に尾行されている可能性が高いため会うのを断念したケースも多かったらしい。そんな彼らの、数々の痛ましくも生々しい証言が衝撃的で、言葉を失う。最初はタシ氏自身が若い頃に雪のヒマラヤを越えてきた時の証言をおこなっているが、その内容からして衝撃的です。

この映像については、りんかさんがわかりやすく紹介してくださっています。
『チベット 本の苑』

ネットでも映像が出ているので、時間のある方は見てみるといいと思います。Undercover in Tibet でググれば一発で出ます。

それにしても、こうした映像が「イギリスでは昨年3月の時点でテレビ放映されていた」というのが、やはり凄い。欧米の方が長い植民地支配時代の反省から人権に対する意識が高いという歴史環境の違いがあるとはいえ、かの地と日本社会の空気の圧倒的な違いを感じた。

この後、講演者の方々のスピーチが続いたのだが、皆さんそれぞれのスタイルで熱がこもっていて、心に響く話ばかりだった。とはいえ、正直にいえば舞台袖で待機していて、時間の進み具合を気にしたりと、あまり集中できなくて残念でもあった。

*

司会というものをやってみるまで、司会進行という仕事は、考えていた通りのシナリオを淡々と読み上げていくものだと思っていた。それでうまくいく場合もあるのだろうけど、案外そうでもなく奥が深いな、と感じた。たとえば講演者の紹介を始めても、人によって立ち上がって前に出てきてくれるタイミングが微妙に違う。「続きまして、○○○○、○○○○の……」とその人の所属・肩書きがよばれるやいなやすぐ出てきてくださる方もいらっしゃれば、お名前までよばれても遠慮なさってなかなか立ち上がらない、奥ゆかしい方もいらっしゃる。いずれにせよスピーカーの人々は話す直前で緊張していて、事前に言われていても自分の順番がよくわからないことが多いから、司会は紹介を始めると同時にその人にアイコンタクトして、立ち上がって前に来てもらうよう促す必要があるのだ。いわゆる「目力」の発揮が求められるんである。ところが会場全体が比較的コンパクトで(150人定員)終始明るかった昨年のイベントと違って、今回は700人収容可という大ホールで、舞台に出た途端、真っ暗な中にまばゆい光がこちらに向いていて、何も見えない! 最初、眩しさにくらっときて焦った。客席が暗くて最前列に座ってもらっていた講演者の方々ともアイコンタクトしにくく、いかに目力で合図するか?必死になっていたので、かなり怖い顔をしていた気がする(汗)

紹介文は、二、三文ほど余計に考えておく。講演者が前に出てくる前に紹介が終わって間が空いてしまったら、たぶんその人は話しにくい。特に、日本語で話さなければならないチベタンの人は緊張するだろう。だからその人がちょうどマイクの近くに来るタイミングにあわせて、どこまで言うか考える。マイクに近づいてくる講演者の位置を横目で捉えながら、原稿を確認しながら、なるべく前を向いてプロフィールを紹介する、あと7秒、あと5秒、、、。 そうして、その人がマイク脇に来たタイミングで発声をバトンタッチできるのがベスト。……なーんて、実際にはそううまく運べたわけでは全然なく! 大げさな表現をすれば、頭の中では映像と文字の両方の視覚情報を並行処理している感覚がして、けっこうスリリングだった。……なーんて、終わった今はこんな、もっともらしく語るけど! もう二度とやらない(笑)。

牧野先生が話し始めた時、右頬の高い位置に小さな銀色のかけらのようなものが光っていて、あれ?なんだろう? どこかの壁土?か何か、小さい銀色の粒子がくっついたのかな?と思ったが、よくよく見たら、まなじりの延長上にあるその小さな小さな銀の粒は、涙の痕だとわかった。あの映像を見て、こみあげてくるものがおありだったのだと思う。

終了後のホール外の会場の賑わい。
終了時刻は遅かったのに皆さん、名残惜しげな様子だった。
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by epea | 2009-03-10 02:14 | チベット・中国関連
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