3月17日に生まれて

今週から、東京はかなり暖かくなりました。
ええっ? もう桜がこんなに開いて? と驚いて近づいたら、木蓮の花だったのでした。
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今日のボストン・グローブ紙では、1959年3月17日に生まれ、その後もこの日に人生の節目を迎えているチベット人男性の話が紹介されています。
このまま映画の主人公になれそうな……
いえ、そこらへんのフィクションの主人公より、波乱万丈。もっとも、チベットにはそういう方々が多そうですね。

最近のラサの様子についても、少し触れられています。

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Boston Globe紙
"Dalai Lama and a man's passion for Tibet"
By Lobsang Sangay
March 17, 2009

50年前の今日、俗人の服をまとったダライ・ラマ法王は、ラサ郊外の夏の離宮をこっそり抜け出して、中国軍の監視の下から脱出した。同じ日、そのすぐ近くの家でルティン・ナムギャルは生まれた。だがその誕生の喜びに浸るどころか、両親は気がかりでならなかった。果たして息子は、中国の紅軍がもたらした暴力の渦を生き延びることができるだろうか。

今日、マサチューセッツ州メッドフォードに住んでいるナムギャルは、この5月2日にボストンへの訪問を予定している法王に会える日を、心待ちにしている。

ナムギャルは自分自身を、祖国で大いに敬愛されている指導者が8万人のチベット人を引き連れてインドへ逃亡しなければならなかった日に生まれた、不運な魂と感じてきた。1950年以降、中国軍による最初の侵攻を受けてから、チベットの人々は抑圧的な体制下で生きることを余儀なくされてきた。その間、数十万ものチベット人が亡くなり、数千をはるかに超える人々が投獄されてきた。

毎年誕生日を迎えるごとに、ナムギャルは、かつて独立国であった自国の闘いについて想いを巡らせる。3月17日が巡ってくるたびに、チベットの自由を求める闘いに対する自分の内なる情熱を新たにするのだ。

若い頃、ナムギャルは中国の大学で学び、その後、現在はチベット自治区と呼ばれている政府の一員として働いた。十分な給与をもらい、彼と妻はラサで中・上流の暮らしを送っていた。けれどもナムギャルは密かに、チベットの自由を求める地下組織の闘いに加わっていた。政治的囚人や人権侵害の情報を収集し、外の世界へ流出させていた。かなりの危険を伴いながらも、彼はチベットに密かに持ち込まれた亡命政治活動家達に関するビデオ上映なども行っていた。

また友人とともに、政治のポスターを公の場所の壁に貼って回ったり、チベット人の目にふれるように、中国当局の監視をかいくぐって回覧できるようにと、仏教寺院の石の下にビラを置いて回ったりしていた。

だがこうした生活も、1990年1月に音を立てて崩れた。警察に逮捕され、10日間投獄されたのだ。自分の道は閉ざされたと知ったナムギャルは、妻と4歳の娘を伴って、厳冬のヒマラヤの山々を越えた。まさに、ダライ・ラマ法王が1959年に越えた道だった。ほとんど凍死しそうになりながら、カルマの導きゆえか、一家はチベット亡命政府の拠点となっているインドのダラムサラにたどり着いた――3月17日のことだった。

逃亡が成功したにも関わらず、ナムギャルは重度の鬱状態に陥り、数週間ものあいだ寝たきりとなって死に瀕した。回復してからは、チベット亡命政府に職を得た。

1990年代初頭、アメリカの難民移住計画によって、ナムギャルはボストンに移住した。その18年後、故郷ラサでは2008年春の蜂起が始まり、それはチベット全域に拡大していった。

今日、武装した中国警察が重々しい銃を構えて街の通りを巡回し、屋根屋根の上には狙撃手が待ち構え、狙いを定めている。

ラサを目指してきたチベット人巡礼者は、ラサの街に3日以内しかとどまることができない。僧侶達は自分の寺院を2、3時間以上離れることは許されず、葬式の儀式を執り行うこともできない。必死になったチベット人のうち、ある者は地方の寺まで車を走らせ、一般人の服装をした僧侶達をこっそり街中へ連れてきて、仏教徒としての儀式をおこなってもらっている。そこまでお金のない人々は、かつてチベットを脱出し亡命政府の学校で学んでから帰ってきたチベット人の若者達を招いては、仏教儀式を行ってもらっている。彼らなら、基本的な祈りの言葉であれば学んでいるからだ。もし逮捕されれば、僧侶達も家族達も、厳しい処分に直面する。

チベットがこの、明言されてはいないが事実上の戒厳令下に置かれている時期、ナムギャルはめったに親族に電話をかけない。たとえ電話が通じても、中国当局に盗聴される恐怖から、親族はすぐに通話を切ってしまう。

昨年の春以降、中国による占領50周年を節目として、チベットでは断続的に抗議活動が発生している。アムドのキルティ僧院では僧侶が自らを焼身し、カムのリタンでは数百人の農夫が警察署を取り囲んだ。すべての抗議者達は、共通のスローガンを掲げている。法王のチベットへの帰還と、チベット人をそのままにしておいて欲しい、という願いだ。憤りが蓄積していく中で、チベットは深い奈落の底に沈んでしまいかねない――それによって、両方の立場の者が深く傷ついてしまうというのに。

自分自身の家族や故郷の人々に降りかかっている災難にも関わらず、ナムギャルはまだ、非暴力と対話を通じた宥和こそが、解決にいたる最善の道と信じている。彼は、5月2日ボストンのジレット・スタジアムにおけるダライ・ラマ法王の講話を楽しみにしている。そして、まもなく法王が自由になったチベットへ帰還されるようにと祈っている。自分の誕生日がもはや、法王がかの地を離れなければならなかった悲劇の日ではなく、長い間心待ちにしている喜びの日になるように、と希望している。

(筆者のロプサン・サンゲイ氏は、ハーバード・ロースクールの東アジア法学研究プログラム上級研究員であり、今回の法王ボストン訪問の設定・調整を行っている。)
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この記事の筆者、ロプサン・サンゲイ氏へのインタビュー動画がありました。
Dr. Lobsang Sangay interview on Special Meeting
(昨年11月の特別会議について)


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by epea | 2009-03-17 23:31 | チベット・中国関連
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