IE9ピン留め
『ランゼン: 独立チベットの論拠』 - 8
■ Democracy and Rangzen
民主主義とランゼン

真に民主主義的なチベット社会においてのみ、創造性や斬新な考え方、そして新しいリーダーシップ――これこそ自由を求める闘い(Freedom Struggle)において、喉から手がでるほど必要とされているものだ――が誕生するのみならず、それらが価値あるものとして尊ばれ、効果的に機能するようになるだろう。さらに、民主主義だけが政府の機能に十分な透明性をもたらし、また私達のリーダーシップの側に正真正銘の説明責任(アカウンタビリティ)を養うことになるだろう。したがって民主主義こそが、チベットの人々のランゼンに対する真の想いが十分に表出されるための、唯一の手段となる。

抑圧されたチベットの人々にとって、民主主義は、中国の圧政からの究極の自由という目的を象徴しているだけでなく、チベット人自身の選択による真に公正で公平な政府を求めるうえで、最上の希望を示すものでもある。その意味において、真に民主的なチベットの実現を保証することは、「チベットの独立は神政的な封建主義への逆行である」と言い募る中国のプロパガンダに対して拒絶の姿勢を示すためにも、有効といえるだろう。したがって民主主義は、私達の理念にとってその潜在的な武器となり、また私達の亡命社会においてそれを純然と効果的に実施することは、自由を求める闘いに信憑性を持たせるために、疑いの余地なく必要なものとなる。亡命社会に民主主義を根付かせるための小さな一歩は踏み出されてはいるものの、より多くの事柄が実行されていかなければならない。本当の意味で党に基づいた選挙制度が、(ネパールの古いうわべだけの「パンチャヤット制(panchayat)民主主義」に似たものでしかない)現行システムに取って代わらない限り、亡命政権と亡命議会に真の民意が反映されることは決してないだろうし、独立したチベットを求める人々の望みに基づいた政策が実施されることもないだろう。

しかしながら、選挙制度の改正のみが民主的で動的な社会を確実にもたらすわけではない。チベット人が、私達の祖先がチベットに仏教を受け入れた時と同じような熱意と献身でもって、民主主義的な考え方や文化を受け入れる必要がある。時代を超えて息づいてきたチベット仏教の生命は、7世紀から13世紀にかけてインドの仏典を研究し翻訳したロツァワ(lotsawa)と呼ばれる偉大なチベット人翻訳者達の、とてつもない不朽の学問的偉業に大いに依っている。彼らの並はずれた業績は、今日に至るまでのあらゆるチベット仏教組織やその成果のすべてがそれに基づいて築かれてきたほどの、知の盤石の土台となった、といっても過言ではない。私達国家の政治的な未来の進路を導きだすうえで、チベット人は西洋民主主義と市民社会を形作った思想や哲学を研究し、議論するべきだ。私達の政治教育におけるスートラ(顕教)とタントラ(密教)には、フランスやイギリスの偉大な啓蒙の書や、アメリカや現代インドの建国の父による著述の数々、そしてそれらに続く現代の自由主義者や民主主義の旗手たちによる作品がふさわしいだろう。

そうした知的な努力、政治的な献身、そして倫理的な情熱をもってのみ、私達はチベットの独立回復をもたらしうるであろうし、法の支配および個人の自由の卓越性という理念に基づいた、政府における真の民主制度の樹立を達成できるであろう。
by epea | 2009-07-31 23:47 | Jamyang Norbu
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