カテゴリ:仏教関連( 8 )

『修行道の三要素』 (3)

週末を過ぎて、すでに記憶があやふやになっています。初心者の低いレベルではこのように聞こえる/この程度にしかついていけない場合もある、という程度のメモですので、何とぞご了承ください。

*****(続き・配布テキストの解説)**********
■ツォンカパについて
14~15世紀の人。アティーシャのカダム派を受け継ぎ、ゲルク派を築きあげた。
顕教、密教ともに重用。マルパのカギュ派、サキャ派の教えも継いでおり、宗派を超えて法灯を受け継いだ。
→ すべての派の伝統を受け継ぐことを重視するのはナーランダ僧院の方針でもあり、法王もこれを支持している

(以下 『ダライ・ラマ 〈心〉の修業』マリア・リンチェン訳、春秋社、2002年 を参照)

『修業道の三要素(ラムツォナムスム)』
■第1―2節: ツォンカパによる約束と決意
・どの仏教の教えを聞くにも、偏見や拘りなく耳を傾けよ。
アーリアデーヴァ 『四百論』: 「いずれの教えも知性を用いて分析せよ。そのためには、ひらかれた偏見のない心で聞く必要がある」
→ リアリズムの重要性。現実に即した方法で分析し、判断せよ
釈尊いわく、「金の純度を調べる時には切断したり燃やしたりとあらゆる手を尽くすのと同様に、私の教えについても徹底的に吟味せよ」
→ 正しい分析とは、懐疑的な態度で対象に取り組み、あらゆる疑問に対処すること。すべての疑問を自分の知性で分析し尽くして疑いを晴らした後に、修業に入ることが大切

■第3―5節: 出離の心
・三種の苦しみ(第8節で言及)
 (1) 苦痛にもとづく苦しみ
 (2) 変化にもとづく苦しみ
 (3) 偏在的な苦しみ=釈尊のいう「出離」の対象となる苦しみ
我々の苦しみは、煩悩に汚された心と体によって次々と生じている。
五蘊をもって生まれた以上、煩悩から逃れられないと自覚せよ。
→ 断滅を目指す意思を堅持し、解脱の境地へ

■第6―8節: 菩提心
・菩提心の備えるべき二要素
 (1) 一切衆生への利他心を起こすこと
   そのための方法論として、
   ①自分と他人を入れ替えて考える。
   ②因と果について考察する。〔→輪廻の考察〕
 (2) 衆生救済のために、自分自身が一切智(悟り)の境地に入ること
   そのための方法論として、
   ①自分自身の苦しみの状況を認識する。
   ②他者もまた苦しみに喘いでいることを認識する。
→ 一切の有情への慈しみにもとづき、衆生救済を目的として自己の悟りを求めよ

■第9節以降: 正しい見解 (=空を理解する智慧)
・正しい見解を阻む二要素
 (1) 煩悩
 (2) 所知障: 煩悩が心の中に残す習気(じっけ)、残り香のようなもの。
          煩悩が退治された後に心の中に残される囚われ、妄想など。
→ 「煩悩+習気」をともに滅する力を持つことが、無知を滅し、縁起の理解へとつながる

・煩悩の源の三毒: 無知、怒り、執着。特に「無知」は、煩悩の最大の源。

・ナーガルジュナ 『中論』: 「縁起により生じたものはすべて空である。……」

・空とは、単に名義上の存在。そのように「名指されている」だけのことであり、他者に依存している。

★般若心経の一節 「色即是空 空即是色」は、次のように言い換えることができる。
 ①色即是空 =形を離れて、空は存在しない。また、
 ②空即是色 =空の性質あるがゆえに、形あるものとして(全てが)存在する。
または、
 ①色即是空 =形を離れて存在できない空 と、
 ②空即是色 =空を離れて存在できない形

■第11節
あらわれとは誤りなく縁起するものであり  = 縁起 の理解
 空とは〔自性を〕受け入れないことである  = 空 の理解
 この二つの理解が別々にあらわれている限りは
 まだ成就者〔仏陀〕の真意を正しく理解していない
1~2行目:
あらゆるものは他者に依存しながら存在し、いずれもそれ自身で実体をもって〔自性を備えて〕存在しているわけではない ⇒ 実在論の排除
・「あらわれ」のレベル(世俗諦): 縁起、因果に依っている
・「空」のレベル(勝義諦): 対象には実体がない、と理解する
釈尊の真意を正しく理解するには、この両方のレベルの理解が必要。

■第12節
空の理解によって、縁起の理解も深めることができる。(and vice versa.)
空と縁起を「同時に」理解している状態が、智慧の完成した状態。

■第13節
あらわれによって実在論を取り除き
 空によって虚無論を取り除き
 空が因や果としてあらわれるさまを知ったなら
 もはや極端論にとらわれることはなくなるだろう
1行目: 実在論の排除 (第11節)
2行目: 虚無論の排除
空とは、形ある全ての対象がもつ特質の一つである」ということ。
したがって、「空=虚無」ではない。
モノ(形)がない、という意味ではない。
モノの属性の一つとして、空を捉えること。
4行目: 二つの極端論(実在論と虚無論)の排除


……と、いうことです。
以上、(修業道の)三要素について、よく考えて、精進しましょう(第14節)。

(以上)
******************************

幼稚なメモで、申し訳ありません。自習用のメモを公開する意味があるのかと迷いつつ、さらしています。当日聴講されたかたがた、仏教者のかたがたに、加筆修正すべき点などをご指摘いただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

個人的には最後の部分(「色即是空、空即是色」は等号記号の左右を入れ替えただけではないこと、二つの極端論の排除)の解説で、かなりしびれました。近ごろ仏教の話をなるべく聞きにいくようにしていますが、薄いレースの生地を重ねていくように、先生によって少しずつ説明の仕方が違う。子供の頃から機械的に唱えてきた般若心経の、簡潔な漢詩の裏にこれだけの意味があると知って、ちょっと興奮します。
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by epea | 2009-11-02 23:51 | 仏教関連

『修行道の三要素』 (2)

このあたりから、よくわからない個所が出てきました。多くの語彙の背後に前提とされている知識や含意が感じられ、訳のスピードも早くなるため、意味を伴って言葉を聞き取ることがなかなか難しい。特に「アサンガによる三条件」と訳されていた因の条件とは何を指すのか? 唯識の分野で定着している用語遣いがあるのでしょうか。講演で聞いた範囲の言葉でネットで調べてみましたが、わかりません。詳しいかた、ツッコミ解説をお願いします。

「自我をめぐる3つの問い」は、法王が方々の講演で、仏教哲学と他の宗教の根本的な違いを説明する際によく引き合いに出しておられるように思います。


*****(続き)****************
■次に宗教的な見地から、「いかに他者への愛をはぐくむか」について考察する。
ここで、自己愛/他者への愛について問題にしているが、自分と他人を区別しているものは何か。そもそも、自分とは? 

■自我をめぐる3つの問い:
1. 自我とは?
2. 自我に始まりはあるか?
3. 自我に終わりはあるか?


■1. 自我について
一般に「私」を指さす時、私の何を指しているのか? 自分の心臓?頭?あるいは心?
「心」を指すとしても様々なレベルがある(粗、微細、etc.)。どのレベルの心を指しているのか、実はわかっていないのではないか。

答(1) 「自我とは自分の心と体を支配する所有者を指す」とする: キリスト教など一神教
  例: アートマン(インド哲学)、soul/魂 (英語圏、キリスト教)の概念
  (仏教用語でいう)五蘊の所有者を、永遠の自性を持つものとして捉えている。

答(2) 「五蘊である自我は存在しない」とする: 仏教
  心と体の構成要素である蘊により、存在しているように見えるだけ。
  般若心経の一節「五蘊皆空」=五蘊自体も自性を欠いた空であり、したがって五蘊により構成されている自我もまた空である。


■2. 自我に始まりはあるのか?

答(1) 神の存在を受け入れる宗教
  人間は神(創造主)が作ったものであるので、始まりがある、と捉える。
  ただし、インド哲学サーンキャ派の「根本物質」の二十五項目に自我を含んでいたかどうかは不明。
〔epea注・ 「二十五の原理」「二十五諦」と呼ばれる成り立ちにおいて、純粋な精神的原理としてのアートマンに対する他の物質的原理「根本原質」から変化(開展)を起こした結果、自我意識を生じる、と説明されているようです。〕

答(2) 神の存在を受け入れない宗教
  人間の身体においても精神においても、(一般に)始まりはない、とする。
  肉体は誕生した時に始まっているように思われるが、しかしその構成要素を突き詰めて分析すると、(粗なレベル・微細レベルの)微粒子に還元される。微粒子も因果の連続体であることを考えると、〔物質的な存在である〕身体については、始まりを決定できないことになる。
  また、自我を肉体そのものではなく意識の連続体として捉える時、そこには実質因とそれを支える二次的な因が存在することに気づく。ある意識には、それに至る前の存在たる意識が前提となっており、さらにその前の意識が存在し……という連続性を見ていくと、〔精神的な存在である〕意識についても、始まりを決定できないことになる。

 (参考) アサンガによる〔意識の存するための?〕三条件
1. 無常  2. 不能なること(??よく聞こえなかった)  3. 可能性の力
一つの意識が存在するには、それに至らしめた実質因が存在している必要がある。また、同種の因を結果として生み出せる可能性を備えていなければならない。


■3. 自我に終わりはあるのか?

答(1) 神の存在を受け入れる宗教
  「魂があり、死後は神による審判を受けて天国か地獄へ行く」
   → 自我に終わりがある、としている。

答(2) 神の存在を受け入れない宗教
  仏教における二種類の考え方:
  ‐「涅槃に至った時、五蘊の連続体が途切れて涅槃に入る」: 説一切有部
  -「涅槃に至った時、五蘊の連続体とは関わりなく涅槃に入る」: 仏教一般
   → (涅槃に入ると五蘊は消えるが)自我に終わりはない、としている。


(続く)
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by epea | 2009-11-02 01:05 | 仏教関連

『修行道の三要素』 ダライ・ラマ法王東京法話の概要 (1)

東京講演のメモです。あくまでも概要で、よく聞こえなかった部分(会場のマイクの音質の設定が今ひとつだったような?)や用語などは、自分の判断で編集しながらまとめているので、間違いだらけと思います。

正確な講演録を知りたいかたはぜひ、後日発売されるであろう公式本(?)を購入して、勉強なさってください。こちらのメモは、いつものように眉唾モノということで、ご勘弁のほど。

今回の講演(法話)は、仏教初心者には嬉しい内容だったのではないでしょうか。配布テキストの「修業道」に般若心経からの引用を随所に散りばめて、五道の修道論から最後は中観思想の要諦部分に踏み込んでいただき、短時間ながらなかなか充実感がありました。
ツォンカパのテキストが事前に指定されていたのがよかったのではないかと思います。ダラムサラで行われているレベルのティーチングにやや近い感じだったかな、という気がします。これからも、日本でこれぐらいの密度をもった話が聞けるといいなぁ。

************************************
ダライ・ラマ法王来日法話 
「さとりへ導く三つの心と発菩提心」
■2009年10月31日(土) 午後2時~
■於: 東京・両国国技館
■配布テキスト『修行道の三要素(ラムツォナムスム)』


【法話の概要】

(最初に、般若心経を全員で唱和)
本日はツォンカパのテキスト(上記)にもとづき、「出離」「菩提心」「正しい見解(=空)」の三点について話す。

■般若心経の一節 「三世諸仏依般若波羅蜜多故、得阿ノク多羅三ミャク三菩提」
=過去・現在・未来の三世の諸仏がいかに悟りに至ったかについて述べている。

■悟りの境地は、いかにして得られるか?
→ 一時的条件にあらず、持続的な努力が必要。

■心経最後の真言でも、そのように説いている。
「ギャーテイギャーテイ波羅ギャーテイ波羅ソウギャーテイ菩提娑婆カ」
=「〔資糧道を〕行け、〔加行道を〕行け、彼岸に行け、悟りを成就せよ」の意味。
すなわち、徐々に修業の道を歩むことが必要。
 例・花の種: 花は、すぐ咲くわけではない。
   種から徐々に育てていき、最後に花を咲かせる。

■五道の説明
資糧道 (初心者レベル)
 ↓
加行道 (究極〔勝義菩提心〕を目指し始める)
 ↓
見道  (空の理解)
 ↓
修道  
 ↓   (見道から無学道に至る間に菩薩の十地を経由)
無学道

■悟りへ至る五道十地の中でも重要なのは、直接体験を通じて空を理解する智慧をはぐくむこと=智慧の完成 「般若波羅蜜多」

空を直感的に理解する智慧をはぐくんでいく過程で、煩悩と所知障を滅却し、方便の支えにより一切智、すなわち仏陀の境地に至る。
方便に支えられた智慧を獲得するためには、菩提心が必要であり、出離の心(輪廻から離れたいと願う心)が必要。
→ 悟りへ至るために必要な三要素: 出離、菩提心、智慧

■(三要素について説明する前に、一般の仏教話)
・21世紀の現代、苦しみが偏在し、次々と起きるのはなぜか。
苦しみは人間が自ら作り出している場合が多い。自分で作ろうとしているわけではないのに。
→ 二つの原因(無知と煩悩)による。
現代は煩悩で心が乱され、他者に関心をもたず、我欲ばかりが発達している状態。

・日本は物質文明の発展がめざましく、教育も発展しているのに、なぜ苦しみが絶えないか?
→ 自分と他者を分ける考え方による我欲の拡大で、苦しみが増している。

・心を乱す煩悩は、心や家庭の平和を壊すという点で、社会のみならず個人にも問題を作り出している。心が乱されれば、体も影響を受ける。体の構成要素・五元素も損ねて、健康も害する。心の乱れが免疫機能に影響を与えるという、科学者の報告もある。

・宗教を受け入れる人も受け入れない人もいるが、いずれも心の平和を望んでいるのは同じ。
心の中に平和を築くことは大切。物質文明は体に快適をもたらすうえで役立っているが、心の平和は物資的な発展のみでは達成できないとわかってきた。
→ 心の平和を意図して築く努力の重要性。
外的条件に頼っていては、心の平和を得ることはできない。心の平和を高める因の条件を増やす努力を自ら行うこと。

・心の平和を損なう感情の原因の一例: 自分と他人を区別すること
他人を自分の外側の遠い存在として放っておき、自我意識のみを大切にすることにより、様々な紛争が生じている。
→ 自・他の境界を無くせば、好ましくない感情もなくなっていく。他者も自分と同じように好ましい存在と感じれば、マイナスの感情も発生しない。
→ そのために、菩提心をはぐくもう。
自分ばかりを主張するのが不幸の根源になることを、自覚せよ。
他者を自分と同じくらい愛しいと思えるように、努力せよ。
すべての他者を慈しむ心を育てよ(発菩提心)。
さすれば心の平和、社会の平和がもたらされる。

・世俗のレベルにおける、愛をはぐくむ重要性の認識について
(去年の講演と要点はほぼ同じなので略)


(続く)
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by epea | 2009-11-01 00:55 | 仏教関連

ダライ・ラマ法王講演 質疑応答より(2)

お問い合わせありがとうございました。東京分の追加です。

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《東京講演より》

(まずは楽しい雰囲気で、「やはり法王様は特別な存在では?」との問いかけに
「いいえ、自分は仏陀のメッセンジャーだと思っています」とお答えになった後で)

Q. 「善い人間」とは、どのような人を指すのでしょう? 
   善い人間であるためには、どのようにあればよいでしょう? (モンゴル人女性)

A.  「善い人間」とは、
(仏陀の)智慧 と
(仏陀の)慈悲 を、持ちあわせている人

そのうえで、他者への善行を為す人、なんらかの行動に移す人

たとえば、南アフリカで反アパルトヘイト運動に尽力してきたネルソン・マンデラ氏。
彼は長年投獄された後、南ア初の黒人大統領となった暁にも白人に対する報復的措置はとらず、黒人・白人間の対立をなくすための宥和政策を打ち出した。また、大統領引退後もさまざまな平和活動に従事されている。彼こそ、「善き人」のお手本である。


と、お話しになったように思います。

……なーんて、ここまでアレコレ、もっともらしく書いてきましたが、いい加減な記憶ですから、全然あてになりません。「へ~ こういう風に聞こえた人がいたんだ~おかしいなぁ~」ぐらいのノリで、軽く受け流してやってくださいね。まゆつば、まゆつば(笑)
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by epea | 2008-11-10 23:23 | 仏教関連

ダライ・ラマ法王講演 質疑応答より

法王講演の質疑応答セッションで興味深く感じられたやりとりをメモしておきます。
時間がたってしまって今さらだけど、書いておきたくなりました。書かないと忘れそうだし。

以下の点は、私としては興味を惹かれたQ&Aだったのですが、あちこちの掲示板では別の質問について、大きな関心・感想が寄せられているのを見かけました。
受け側によって解釈は様々であること、なるほど、と再確認しています。


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《福岡講演より》
Q. チベットに対して日本人僧侶は何ができるか、ご教示ください。(日本人僧侶の男性)

A. 日本人僧侶の皆様による応援は、たいへんありがたく、感謝したい。
仏教、文化、環境の破壊が進んでいる現状について、人々に説明してほしい。

チベット問題には、次のような側面がある。
(1) 人権
(2) 歴史ある仏教文化・伝統の保護
(3) エコロジー(環境問題)
(4) 中印関係


(2)について:
仏教文化の保護は、チベット人600万人のみならず、少なくとも1300~1400万人のアジア人に共通している課題。中国人も、元はといえば数百万人が仏教徒であった。よって、チベット仏教の保護は、おおぜいの人々にとって重要な意味をもつ。
さらに、チベット仏教は「慈悲」「非暴力」の文化という観点からも、人類全体にとって有意味。

(3)について:
チベット域内に発しアジア全域をカバーする大河は、中国からパキスタンまでをカバーし、数十億の人々の命に関わる存在である。
チベット高原に存する氷の大陸は、北極・南極に次ぐ規模を擁し、雪氷の量でみれば、北極の容積に匹敵する(中国人の環境学者による説)。

(4)について:
チベットは中国とインドの間に位置し、両国と隣人関係にある。中国とインドはともに大国であり、人口にして全世界のおよそ三分の一を占め、両国の状態は世界平和に大きく影響する。
したがって、この両国の間に存在しているチベットの平穏もまた、世界平和に繋がっている。

以上4つの観点から、チベット問題について、お知り合いの皆様にご説明ください。

(感想)
……ということですので、僧侶ではない皆さんも、お友達には上の4点セットでもって、説明してみましょう!


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《福岡講演より》
Q. 死への恐怖は、どのようにして克服すればよいでしょうか。(20代女性)

A. 3つの方法があります。

(1) 神を信じる宗教の信者である場合: 
神への信仰で心の平安を得て、死の恐怖をやわらげることができる

(2) 無神教の信者である場合:
仏教においては、「死によって粗なレベルの意識は終わるが、微細なレベルの意識は来世まで続く」と考えている。死とは、「肉体という衣が古くなったから、別の衣に着替える」ようなもの。完全なる終わり、ではない。
ただし、次にどのような衣を着ることができるか?は、カルマの法則により、現世での善行・悪行に左右される。よって、現世で善行を積んでおくことが大切である。

(3) 無宗教な人の場合:
物事には、「始まりがあれば終わりがある」。
生命についても、同じ論理的帰結を受け容れるしかないでしょう。

以上の3つの中から、自分で好きなものを選びなさい。
どれを選べばいいかって? I don't know.


(感想)
最後の部分、クールに突き放した法王の一言にしびれました。


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《東京講演より》
Q. チベットの情勢について怒りを抱いている。(平和を祈る僧侶の会)

A. (法王、怒りを鎮めるためのテキストとして、シャーンティディーバ『入菩提行論』を紹介)

(感想) 
この質疑応答は、残念ながら、通訳を介在させるコミュニケーションがうまくいかなかった一例だったと思います。

この質問をなさったのは、「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」の方でした。春先から、無風状態に近かった日本の仏教界の中でチベット問題を訴え続けてこられた僧侶の方々の中のお一人だったと思われます。その方が、ダライラマ法王がかつて日本人仏教学者のインタビューにおいて「慈悲をもって怒れ」と語っておられた背景を踏まえて、怒りの有効性について法王に問うた時、この方は「チベット問題について見聞きした日本人が、慈悲をもって怒りを表したいと感じた時、どのような行動が有効か」といったようなことも含めて、大勢の日本人がいる前で、あえてお尋ねになりたかったのではないか、と思います。

しかし、日本人の質問をチベット語に訳して法王に伝えていたのは、チベット人の通訳者の方でした。彼は、話し言葉の日本語は堪能でいらっしゃいますが、おそらく、日本人のチベット支援者の間では度々話題にされてきたこの有名なインタビューを、日本語の書籍では読んでおられないでしょう。

また、「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」の存在についても、もしかしたらご存じないかもしれません。そういう日本人僧侶の会があることは聞き知っておられるかもしれませんが、その会の日本語名称まではご存知なかったかもしれません。

質問者の僧侶の男性は、ただ単純に怒りを表明していたわけではないのです。法王がこれまでただ単純に、いかなる状況に対してもなしくずし的に優しくあれ、などと説いてきたわけではないのと同様に。慈悲とは、そのような生ぬるいものではないでしょう。この方の気持ちを矮小化しないでいただきたい、と思います。日本の冷たい空気のなかで行動されてきた仏教者の思いが伝わらず、この方の勇気をもった問いの試みが見栄えのよい善意でもって衆目の下で矮小化され、解体されて伝播していくとしたら、口惜しく残念に感じられてならないのです。


(……うーん、今夜はこれにて時間切れ。)
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by epea | 2008-11-09 21:37 | 仏教関連

2008/11/6(木) ダライ・ラマ法王 東京講演の概要(2)

(続き)

■事物の相対性
・すべてのものは、相対的に存在している
例) 薬指の長さは?
 小指と比べると、「長い」
 中指と比べると、「短い」
 薬指だけを見ると、「長いとも短いともいえない」

⇒ ものの属性や価値は、相対的に判断される。善悪の判断についても、同様である。

⇒ もの本来の様相を捉えるために、ものごとをあらゆる角度から見るように心がけること。
  現実的なアプローチをとるにあたっては、幅広い視野から対象を見なければならない。


■心の平穏(peace of mind)の効用
・自らの心をよく観察し、平穏に保つようにせよ。

例) 法王の胆石手術
通常15分程度で終わるはずの手術だったが、法王の場合は3時間かかってしまった。
だが、術後の回復が非常に早く、医師も驚いていた。おそらく、普段から心の平穏を保っていることが健康にもプラスに働き、身体の機能回復が進んだのではないか。
→ 心の静寂を保てば、ストレスも不安も減り、健康によい。

・さらに重要なのは、
あなた自身が平和な人間になることが、究極的には世界の平和に繋がるということ: 
家庭内における平和 → コミュニティにおける平和 → 世界平和

・私たちの心の中にも、愛と慈悲の種がある。
生後、母親との接触の多かった乳幼児は脳がよく発達する、という医学研究発表がある。
あらゆる子供は同じポテンシャルを持って生まれてくるが、子供の育つ家庭環境によって、どのような人間に育つか、違いが生じてくる。
→ 愛のあふれる家庭環境が大切。


2. 心の本質 について

・古代インドの説: 意識を6種類に分類
 仏教では、50(?)~80ものカテゴリーに分類する場合もある。

・意識の大部分は、普段は中立状態に保たれている。
善い/悪い感情が起きた時に、その影響を受けてバランスが偏る。

一人の人間が、一つの対象に対して、怒りと親切心を同時に持つことはできない。
一人の人間が、一つの対象に対して、時には憎しみを持ち、時には親切になることはありうる。
→ 基本的には中立的な意識が、愛する時は愛の方向に、憎む時は憎しみの方向に偏るから。


・「光明の心(clear light)」の定義
(1) 微細であること
(2) 恒常的であること
(3) 空であること

(1)および(2)について: 
私たちが認識できるレベルの心は「粗レベルの心」であり、恒常的ではなく、明滅的に存在している(刹那滅)。
「微細なレベルの心」=「光明の心」は、常に、連続的に、永遠に存在している。
この「微細レベルの心」をベースにして、「粗レベルの心」が生じている。

例) 泥水(粗レベル)とは、浄水(微細レベル)の中に泥が混ざっている状態
例) 氷とは、液体としての水の本質の在りよう(微細レベル)が、一時的に固体として表れている状態

(3)について:
心の本質は空であり、その逆もまた真である。
微細レベルの光明の心も空であり、その逆もまた真である。

Mind is empty; empty is the mind.
Clear light is empty; empty is the clear mind.


《講演は以上》

****************

(感想)

最後の部分、clear light の概念に関しては、時間の制約もあり、今回の東京講演のような形で前半の世俗の通念の解説の後に詰め込むには、少々無理があったのではないでしょうか。
「こんなに短い時間では納得いくまで説明するのは難しい」とお感じになったためか、まるでトートロジーの域を出ない簡潔な定義付けだけで、突然打ち切られてしまった、という印象を受けました。本来であれば、後半のテーマだけで、何かの経典に沿いながら3日ぐらいティーチングいただける内容であったように思います。
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by epea | 2008-11-07 20:03 | 仏教関連

2008/11/6(木) ダライ・ラマ法王 東京講演の概要(1)

昨日福岡から戻ってきたのですが、どこかで風邪を拾ったようです、不覚にも。
今日は朦朧としていたので、法王様の英語に意識を集中しました(本日は終始、英語でお話しになりました)。よって以下のごく大雑把なメモは、マリアさんの丁寧な日本語訳とは多少、離れているかもしれません。ご了承ください。


******************
ダライ・ラマ法王来日講演 
「心の本質は光 ~ よみがえれ美しき日本の心 めざそう世界貢献」
主催: 時輪塾

【全体の流れ】
  開会
1. 司会者挨拶
2. 法王入場、メディアによる photo op.
3. 法王講演
4. 質疑応答
5. 主催者 会計報告
6. 法王への花束贈呈
7. 法王よりカタ返礼
  閉会

【法王 講演内容】
・(ナーガルジュナの中論・最後の帰敬偈、正しい教えを説く仏陀への礼拝)

・私たち個人個人は誰もが、幸せを築くための大きな潜在力を持っている。
家族の幸せはコミュニティの幸せにつながり、ひいては世界の幸せにつながっていく。
つまり、人類全体の人間性(humanity)は、個人個人の貢献から成っている。
すべての変化は個人レベルから始まっていくものだ。

・そうした観点からも、私の考えをこの場で、大勢の個々人たる皆様と分かち合えるのは嬉しい。
(主催者への謝辞)

■盲信せず、己自身で検証せよ
・私は特別な人間ではない。ナーランダ僧院の伝統を引き継ぐ、ただの一僧侶にすぎない。
私に、超能力や奇跡の類いを期待するのはナンセンス。
また、いわゆる「ヒーリング」にも懐疑的だ。
ヒーリングを標榜するような人は、むしろ危険と思うこと。心の弱みにつけこまれないように。
(「ヒーリング・パワーがあったら胆石手術なんかせずに自分で治してるよ、ワッハッハ」)

・仏教徒としてできることは、
調査・研究(investigation) および
論理に基づく推論(reasoning)  による、事実の追求である。
したがって、むしろ科学に近い、といえる。

・釈尊の弟子への言葉: 
「仏教徒には、自らの力で調査・研究する自由がある(liberty to investigate)」

皆さんも、私の言うことを盲信しないで欲しい。
私の発言を、自分自身で精査して、検証して欲しい。
なぜなら、私もまた単なる僧侶であり、ナーガルジュナの弟子に過ぎないのだから。

***********************************
以下、二つのセクションに分けて話す。
1. 人間の心や精神の作用について (世俗の観点から)
2. 人間の心の本質について (仏教の観点から)
***********************************

1. 心の作用/感情 について 

・あらゆる生物は、肉体と心の二つのレベルにおいて、幸せを求めている。

・人間に関していえば、今世紀において、物質面では一定のレベルに達している、といえる。
だが依然として、著しい貧富の差が(社会の中であれ、国家間であれ)存在する。
自由世界においては法律によって機会の平等が保証されている、という建前はあるものの、
実態として、貧しい人々は弱い立場に立たされて、機会を逸し続けている。

例) 法王が福岡で会った、バングラデシュからの女生徒の話
「日本では、毎日、朝が来て、幸せに暮らすことが当たり前のことと受け止められている。
バングラデシュでは、そうではない。4歳の少女が物乞いをしている姿を見て、悲しくなった」

ところが、「今日と同じく無事に明日の朝が迎えられる」のが当然となっているはずの日本で、
多くの人々(特に若者)が、ストレスや鬱など、精神的な不幸に見舞われている
→ 精神の幸福は、物質の発展のみでは得られないことの証拠。


■精神レベルの困難は、物質レベルでは解決できない。
精神状態は、物質的な構成要素から成り立っているわけではないのだから。

例) 花の色を変えるには?
花の構成要素の中でも、色を支配する要素(化学組成etc)が変わらなければ、花の色も変わらない。物質レベルの変化は、物質を構成する微粒子レベルの変化によってもたらされる。

・同様に、精神レベルの問題を変えるには、精神レベル内の要素を変えなければならない。

-怒り・憎しみを取りのぞくには? 自分の中に、その対象への思いやり・親切心をはぐくむしかない。(瞑想するだけでは不十分)
-恐れを取りのぞくには? 自分の中に、その対象への信頼を築くしかない。
そのためには、恐れの原因を調査し、それが恐れるに足らないとわかれば、あるいは対処法がわかれば、恐れを取り除くことができる。

⇒ したがって、精神レベルにおいてどのような要素が有益か、吟味する必要がある。


■感情の影響
・精神における要素(感情の種類)

-有益な感情(helpful emotion): 慈愛、静寂
-有害な感情(harmful emotion): 怒り、憎しみ、嫉妬、恐れ

現代西洋医学においても、思いやりや心の平穏が免疫力の向上をもたらし、恒常的に怒りや憎しみを感じつづけていると免疫力がダウンする、といった結果が報告されている(米科学者の研究)。
→ 感情は、肉体と精神の両レベルにおいて影響が大きい。

-好ましい感情(favorable emotion): 好ましいものをひきつける
   生きていくうえで助けになるものを自分に引き寄せようとして、生じる
-好ましくない感情(unfavorable emotion): 好ましくないものをひきはなす
   生きていくうえで害をなすものを自分からとり除こうとして、生じる

どちらの感情も、生物学的な要請により人間に備わっている。
怒りによって、自分に害をなすものを遠ざけるのは、生きていくうえである程度は必要。
だが、極端な感情は、それ自体が害悪となる。

例) 敵とは: 特定の対象が、永遠に敵であり続けることはない。
輪廻転生の観点からすれば、今生の敵が来世以降もずっと敵であり続けるわけではない。
また、今生においても、条件・環境が変われば、明日にでも敵ではなくなるかもしれない。
→ もはや敵ではないかもしれない対象に、敵意を抱きつづけることは、かえって自分に害をなす。健康を害し、物事を正しく見ることを阻むから。

例) 法王がストックホルムで会った、米科学者の話
「怒りや憎しみに満ちた人々は、対象を100%ネガティブなものとして捉えてしまう。だがそのうち90%のネガティブな感情は、その人の心の投影(mental projection)に過ぎない」
→ 仏教経典でも、同じように説く一節がある。
「破壊的な感情に支配されると、現実を正しく見る能力が阻まれる」

誰もがトラブルを求めていないのにトラブルが発生するのは、感情に支配されることによって、現実を適切に見ることができず、問題への対処法が非現実的になっているから。

⇒ 感情の危険性: 感情は限度を超えると害をなすことを、しっかり認識しておくように。


(続く)
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by epea | 2008-11-06 22:22 | 仏教関連

2008/11/4(火) ダライ・ラマ法王 福岡講演の概要

ここで私ごときが書かなくても、熱心な皆さんがアップされると思うのですが、リクエストをいただきましたので、僭越ながらメモさせていただきます。

*************
設立35周年 福岡県仏教連合会「いのちとこころ」講演会
ダライ・ラマ法王 来日特別記念講演
演題「幸せへ導く、慈しみのこころ ~ Compassionate mind, a key to happy life」


【全体の流れ】
   開会
1. 主催者:福岡県仏教連合会会長・三笠和雄氏による挨拶
2. 全日本仏教会会長・松長有慶氏より祝辞(電報)
3. 世界平和祈念法要
    金剛流御詠歌および般若心経唱和(日本語)
4. 在米日本人ダムニェン奏者・タシ・クガ氏による「チョラタシ」演奏献上
5. ダライ・ラマ法王 特別記念講演
6. 質疑応答
7. 地元の小・中・高校生による法王への花束贈呈
8. 法王より、主催者・関係者・手話通訳者らへのカタ贈呈
   閉会


【法王 講演内容】

・(最初に、ナーガルジュナによる釈尊への偈頌、
数多の徳のなかでも特に慈悲を讃える偈をお唱えになる。中論の一部より)

・私は特別な人間ではない。五感、自分という意識を持ち、苦しみを離れたいと願い、幸せを望んでいるという点で、皆さんと同じ。ここでは一人の人間として、心における苦楽の体験について話します。

・高野山僧侶の皆様の御詠歌を聞き、心から釈尊の加持を頂いたと感じた。私も皆さんと同じ、釈尊の弟子の一人。経文を唱えることは智慧を高めることに繋がる。

・日本の密教の特徴:大日如来を信仰、二種の曼荼羅(金剛・胎蔵)、ナーガルジュナ、ナーガボディの流れを汲む ⇒ チベット仏教・秘密集会と同様
昨年の来日時には、護国寺でナーガルジュナが金剛杵を握っている仏画を見(チベットのタンカにはない図柄)、日本における仏教の広まりを感じた。

・しかし今日はそういった宗教的観点からでなく、「心の幸せ」をテーマに一般的な話をしたい。


■苦しみ について
・すべての有情には「自分」という意識があり、苦しみから離れたい、と望んでいる。人間にかぎらず、虫や動物を含むあらゆる生物が、そのように感じている。また、幸せをつかむ権利がある。

・人類もまた苦しみを取り除きたいと願いつつ努力を重ねてきたはずであるにも関わらず、苦しみは存在し続けている。しかも、ほとんどの苦しみは人間が作り出してきたものである。

・苦しみには2つのレベルがある。
(1) 肉体レベル
(2) 精神レベル

・動物達も苦しみから逃れたいと望み、そのための努力をしている。
だが人間には考える能力・精神活動が備わっているため、(その場かぎりの努力しかできない動物とは違って)長期的視野に立って努力することができる。その反面、人間には、精神レベルにおける苦楽の影響が大きい。

・2つのレベルの苦楽は感覚器官を通じて発生し、私達はそれを認識している。たとえ肉体レベルに問題がなくとも、心の中に不安がある時、人は精神レベルにおいて乱される。

・2つのレベルを比べると、精神レベルの苦しみの方がより大きい影響を与える。たとえ肉体レベルで不調でも心に満足感があれば、体の苦しみは乗り越えることができるが、その逆は難しい。

・現在のように物質的に発達した時代にあっても苦しみがなくならないのは、物質的な発展は肉体レベルの改善には役立つが、心の改善には必ずしも結びつかないからである。
たとえ億万長者でよき友人に恵まれていても、その人自身の内面的な発達がなければ、苦しみからは逃れがたい。

・概念作用によって生じる心の中の不幸は、概念作用によって精神苦を滅しないかぎり、なくすことはできない。
心の平安は、お金で買えない。医者にも治せない。薬や飲酒などで一時的にやりすごすことはできても、根本的に癒されるわけではない。
⇒ 内なる苦しみを解決するには、自分の心の中に善き変容をもたらすしかない。


■心と感情 について
例) 花 は、さまざまな微粒子/細胞から構成されている。
 -ある部分は、大きく成長するため
 -ある部分は、成長を妨げる要因とたたかうため 

 雪国に育つ草木には雪に耐え忍ぶための性質が備わっているから雪の中でも育つのであり、雪のない国の草木を雪国に持ってきても育たないのは、そのような雪の中でも育つための性質を持たないからである。
つまり、「生きるための本質的な力・逆境を乗り越える力」は、植物のような「心」のない存在にも、さまざまな形で・それぞれの特質でもって、備わっている。

同様に、我々の肉体も
 -体を成長させる力
 -体の成長を妨げる要因とたたかう力(病原菌に対する免疫力など)
を備えている。

同じ二面性が、感情についてもいえるのではないか。たとえば、
 執着: 対象を魅力的に感じる → 自分に引き付けたい
 怒り: 対象が自分に害を与える、と感じる → 排除したい
こうした感情は、
 -自分が生き延びるため
 -自分が生き延びるのを妨げる条件とたたかうため
に生じている、と解釈できる。

・心が肉体レベルにも変化をもたらすことについては、科学的に実証されている。たとえば、
 恐怖が生じる時: 対象から逃げたい → 脚に血液が集中する
 怒り が生じる時: 対象に訴えたい → 手に血液が集中する

・一方、欲望とは、対象を自分に引き寄せたいという感情を伴うが、これについてはある程度は必要であると思われる。
たとえば、「悟りへの熱望」がなければ、永続する悟りに至る境地を引き寄せることはできない。
怒りについても、自分に害をなすものを退ける、という点で、生きていくうえである程度は必要。

・ただし、「煩悩的な欲望」は一時的な感情であり、無明とともに生じるという点で、「悟りへの熱望」のような、適切な欲とは異なる。

・心の中には、さまざまなレベルの感情が存在する。
怒りとは、往々にして 「害をしりぞけたい」 プラス 「無明」 であり、「利他」ではないため、他者を害してしまう。
つまり、「生きていくうえでの逆境を乗り越えたい」という気持ちのみであれば、生き延びるための力として肯定されるが、これに「無明」が加わってしまうのが、よくない。

⇒ 「害」や「逆境」は、「正しい智慧」とともに排除されるべきである。
そのためには、正しい判断が必要となる。

⇒ その感情が、
  「生き延びていく/逆境をのりこえる ための熱望」 プラス 「智慧」 かどうか、判断せよ。


■愛情と慈悲 について
・愛とは、自分に必要なものを引き寄せたい、という力/感情。
ここに「無明」が介在すると、偏見が混ざってしまう → 執着 となる。
すべての有情が幸せになることを望むのが、真の愛情。
一切の偏見が混ざってはいけない。
愛と偏見を混在させてしまうことにより、害悪が生じる(執着、欲望、etc.)。
(とはいえ、そんな「愛情」をはぐくむなんて、たいへん。。)
⇒ そのための心の訓練にこそ、論拠の支えによる「智慧」が必要。

・二種類の慈悲   《法王様、なぜかここから、チベット語→英語にシフトされました》
(1) 偏り(偏見)のある慈悲 (Biased Compassion)
  親しい人を対象に自然にわき上がってくる慈悲や愛情。一種の偏見に基づいている。
  いわば、対象の「態度」に左右される。
  敵に対しては、その敵のもつネガティブな態度により、慈悲を抱くことができない
  → 偏りのある慈悲 の枠内に限定されている。

(2) 偏り(偏見)のない慈悲 (Unbiased Compassion)
  対象の「態度」によるのではなく、「存在それ自体」により生じてくるもの
  ⇒ したがって、敵にも及ぶ。敵に対しても慈悲をもつことができる。
  より高いレベルの慈悲、限りのない愛情といえる。

・「偏見のない慈悲」を育むには、論理にもとづいた精神的なトレーニングが必要。
まず、自分自身が苦しみを望んでいないことを再認識し、その感覚を他者にも敷衍するように心がけよ。

・「偏見のない慈悲」をはぐくむための3つの方法
(1) 一神教の宗教に基づく方法(キリスト教、イスラム教など)
(2) 無神教の宗教に基づく方法(仏教、ジャイナ教など)
(3) 世俗の倫理観に基づく方法

現代は科学の力により、他者への思いやりが健康にもよい、といったことが検証されている。
自分の心が開かれていれば、相手を思いやり、不安は消え、心の平安が高まる。
逆に、互いに不信感を抱いていれば不安感・孤立感からうつ病を生じるなど、医学上でもデメリットが実証済み。
よって、(3)の方法であっても「偏見のない慈悲」を育むことは可能であり、現代社会において、心を開くこと(Open-mindedness)の重要性は増してきている。


《講演は以上。次いで、質疑応答セッションへ》
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by epea | 2008-11-04 21:40 | 仏教関連