<   2009年 02月 ( 16 )   > この月の画像一覧

ジャムヤンさんより、ロサルの贈り物♪

ジャムヤン・ノルブ氏より、ロサル(新年)の贈り物です ⇒ Look!!!

下の方にスクロールしていってください。チベットが独立国であった(……いえ、「である」と現在形にしないと怒られますね (^^;) 証拠を示す、さまざまな品々が掲載されています。
「今年は追悼のロサルだけれど、お部屋でチャン(チベットのどぶろく)でも片手に、これを見ながら楽しんでね」と、チベット人読者の皆さんに呼びかけています。

かつてのパスポートや外交文書、切手や郵便物、お札にコイン、1917年のナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されていた国旗、1934年ランド・マクナリーの世界地図(独立国チベットの位置をばっちりピンクで表示。ボストンのどこかの建物で、壁一面に巨大なステンドグラスの地図が嵌め込まれているらしい)などなど、盛りだくさん。カラフルな写真がたくさんで、眺めていて楽しくなりますヨ。こういった品々は、ダラムサラにあるチベット歴史博物館にも展示されていました。

今回はジャムヤン氏のコラムにしてはたいへん珍しく(笑)、文字を読まなくても楽しめる構成になっていますが、最初の部分だけ、ざっと要約させてください。

***************************
"A LOSAR GIFT FOR RANGZEN ACTIVISTS" by Jamyang Norbu

(冒頭部分の要約)
今年のロサルは、去年のうちに亡くなったり拷問されたり、その他さまざまな苦難に遭った人々に捧げる鎮魂のロサル。
と同時に、「チベット人が文化宗教の自由を享受している」と意地でも見せかけたい中国政府に対する、抵抗の意思表示でもある。
亡命社会ではロサルを祝う・祝わないをめぐる議論が起きて、どちらの主張にも言い分あるけど、革命のロジックはまた別だからね。我々は闘いに呼ばれたら行きますよ。

ロサルの文化に関するエッセイはこれまで散々書いてきたから、今年はポリティカルな贈り物はどうかな? 次のものは、3月10日以降の集会で配るつもりで仲間と作った資料です。
白黒 ・ カラー  誰でも印刷して、ガンガン配ってくれたら嬉しい。表紙には、各自団体名を入れられるようにスペースを空けてある。

(訳注・↑ こちらは、今回のエッセイ"A Losar Gift"の内容をコンパクトにレイアウトして作られています。写真や図が満載で、イベントなどのおしゃれな配布物によさそう)

サイトも構築中。 http://www.rangzen.net
3月10日には間に合うように中身をアップしていく予定だから、刮目して待っててくれ!

これまで国連・国際社会に見せてきた、中国侵攻以前にチベットが独立国だった事実を示す証拠については、みんな大体わかってると思う・・・Shakabpaパスポートとか、国旗とか。だからここでは今まであまり知られていなかったような、ディテールにこだわってみた。みんな、これを見て元気だしてくれよな!

(↑ 例によって超・超訳な要約、すんません。でもジャムヤンさん、気持ち的にはきっとこんな感じだと思う……ので、笑って許してください。)

*

INDEPENDENT TIBET – SOME FACTS
Compiled by Jamyang Norbu for the Rangzen Alliance

完全に国家として機能していた状態

1950年に中国共産党がチベットに侵入する以前、チベットは国家として完全に機能していた独立国だった。近隣諸国のいずれにも脅威を与えることなく、外国からの支援も受けずに年々、国民を養っていた。いずれの国や国際機関からの借金も負わず、法と秩序を保っていた。
1913年には死刑を廃止し(複数の外国人旅行者による証言あり)、世界に先駆けて死刑廃止国家となった国々の一つとなっている。
少数民族を迫害していた記録もなく、
(天安門事件の起きている)中国その他の国のように、しばしば人口の一部を大量虐殺したといった記録もない。
インド、ネパール、ブータンとの境界線は無防備で国境警備員もいない状態だったが、経済的もしくは政治的な理由で難民として国を出ていくチベット人はほとんどいなかった。
中国共産党の侵入を受ける以前は、アメリカやヨーロッパへ移民していったチベット人は一人もいなかった。

異国の軍事侵攻:「平和的な解放」にあらず

1950年10月6日の明け方、中国紅軍(Red army)第18陸軍第52,53,54師団(およそ40,000以上の部隊/または兵士の人数?・数字の出展は下記の注3を参照) が、3500人の通常兵と2000人のカム地方民兵で防衛されていたチベット国境地帯を攻撃。中国人学者による最近の研究では、1950年1月22日に毛沢東はスターリンと会談し、チベット侵攻にあたってソ連空軍に物資を輸送するよう依頼している。スターリンは次のように答えた「チベットへの侵攻に備えているというのはいいことだ。チベット人は征服しなければならない」(注4)

チャムドの前線にいたイギリス人無線技師(チベット政府に雇われていた)の記録によると、ディチュ川の主要な船着場にいたチベット前線防衛軍は、ほとんど最後の一人にいたるまで戦った(注5)。 南では、マルカムに近い川の横断地点でチベット前衛部隊が勇敢に闘ったが全滅したと、その場にいたイギリス人伝道者が伝えている(注6)。 生き残った部隊は、闘いながら西へと秩序を保ちつつ退却した。逃亡したり投降した部隊はなかった。退却を始めて4日後に、一つの連隊が敵に圧倒されて壊滅した。最初の攻撃を受けてからたった二週間後に、チベット軍は降伏した。共産党員の伝記では次のように述べられている。「チャムド侵攻で大勢のチベット人が殺され、負傷した。」「チベット軍兵士は勇敢に戦ったが、圧倒的な人数と優れた訓練を受けていた中国軍に敵うすべもなかった(注7)」  中国のチベット侵攻について書いている唯一の西側軍事専門家によると、「……紅軍は少なくとも10,000人の死傷者を出している(注8)」

つまり、中国政府が主張しているような、平和的な解放ではなかったわけだ。1956年にはカムの人々による大蜂起運動(the Great Khampa Uprising)が始まって国中に広がり、1959年3月の蜂起(the March Uprising of 1959)で最高潮に達した。ゲリラ戦は1974年になってようやく終焉した。「控えめに見積もっても、50万人以上(注9) のチベット人達が戦闘で亡くなっている。さらに大勢の人々が、その後に続いた政治運動や強制労働所への収容、大飢饉で亡くなった。2008年にチベット全域で起きている革命的な蜂起の数々や、中国による残虐な弾圧は、この闘いが今日まで続いていることを明らかに物語っている。

(後略)

出展:
(注3)Goldstein, Melvyn. A Tibetan Revolutionary: The Policital Life and Times of Bapa Phuntso Wangye. University of California Press, 2004, pg137
(注4)Chang, Jung & Jon Halliday. Mao: The Unknown Story. London: Jonathan Cape, 2005.
(注5)Ford, Robert. Captured in Tibet. London: George G. Harrap & Co., Ltd, 1957. pg158
(注6)Bull, Geoffrey T. When Iron Gates Yield. London: Hodder & Stoughton, 1955. pg130
(注7)Goldstein, Melvyn. A Tibetan Revolutionary: The Policital Life and Times of Bapa Phuntso Wangye. University of California Press, 2004, pg139
(注8)O'Ballance, Edgar. The Red Army of China. London: Faber & Faber, 1962. pg189-190.
(注9)Norbu, Jamyang. "The Forgotten Anniversary - Remembering the Great Khampa Uprising of 1956". Thursday, December 07, 2006, Phayul. http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=14993&t=1&c=4
[PR]
by epea | 2009-02-28 00:19 | Jamyang Norbu

新年の祈り

ロサル(チベットの新年)ですね。
今日は早めに帰宅して、静かに祈りたいと思います。

Tibetans Cancel Traditional New Year Festivities;
Defy Chinese Government Orders to Celebrate



チベット人作家のウーセルさんはじめ、SFTなどの代表的なグループや大勢の人々が呼びかけています。
LOSAR SOLIDARITY ACTION
Support Tibetans inside Tibet by lighting a candle today.
'Let Us Make Lamp Offerings and Light Candles to Commemorate the Souls of the Deceased' by Woeser


ダラムサラではハンガーストライキが始まっているようです。
Losar begins with hunger strike in Dharamshala
[PR]
by epea | 2009-02-26 07:25 | チベット・中国関連

嬉しいメールと、楽(ささ)監督との楽しい夜

しばらく前からこのブログを読んでくれている知人から、嬉しいメールをいただきました。
『雪の下の炎』を読んで、とりいそぎ感想を送ってくれたのです。

*************************************
正直読むのが精神的にとてもきつかったので、並行して軽いエッセーを読んでました。
「知らなくてはいけない」と思う反面「知らなきゃよかった」とも思いました。
もし、この話が遠い昔の出来事で、今は全くこのような残虐行為が世界中どこを探してみても起こりえないというのなら
こんな酷い情報を身体には入れたくはない。
その方が人を信じられるし当然の事として親切になれるんじゃないか、などと思いました。
= 実際起きているわけで、知らなくてはならないこと&向き合うべき問題ですね。
同時にアムネスティ等の威力を知って、自分ができることなんて・・とは思わずに動いていこうと思ってます。

ではでは~。映画、チャンスを見つけて観に行きまーす。
*************************************

率直なお言葉を、ありがとうございます。

>こんな酷い情報を身体には入れたくはない

……そうですよね。
チベット支援をしている人は、過酷なニュースに慣れてしまっているので、むしろ『雪の下の炎』の淡々とした語り口に感銘を覚えたりするほどだけれど、もっぱら一般的なメディアの表面に出回っているニュースから情報を得る日常から見渡せば、『雪の下の炎』はやはり厳しい本だと思います。 けれども、

>同時にアムネスティ等の威力を知って、自分ができることなんて・・とは思わずに動いていこうと思ってます

すばらしいことですね。

***

チベットには100%、何の縁もゆかりもない、路傍の石ころに過ぎない自分です。
「昔からの知人には『バカだなぁ、浅はかだなぁ』と思われているのだから、ここを読んでくれているとしても、何の反応もなくて当たり前。世の中には、チベットの文化・歴史・宗教・慣習について知り尽くしていて、チベット的な存在を愛していて、熱心に支援活動していこう、という人々がすでに大勢いるのだから、自分はもうこんな何の役にも立たない自己満足はやめよう、今日を最後に、チベット支援について書くのはやめよう」……などと思いながら、一日、一日と、愚にもつかない駄文を書き散らしてきました。

ですから、思いがけなく上記のような感想をいただけるのは、嬉しいことです。
Dさん、ありがとうございました。

***

今夜は楽(ささ)真琴監督と、おいしいご飯を食べながらお話しさせていただきました。

せっかくご連絡くださったのだから、インタビューのように話を伺いお答えいただいた内容をブログにまとめてみようかという欲も一瞬、兆したのだけれど、お会いした途端にそういう気持ちは消えて、ひたすら楽しく・時には熱く?お喋りさせていただきました。
各国のフリチベ事情、報道をめぐる状況、ドキュメンタリー映画制作にまつわる厳しい現状、その他もろもろ。。 監督のお名前の通り、とても「楽」しい夜のひと時をいただきました。
まことさん、移動や取材でお疲れのところ、本当にありがとうございました。

インタビューについては、プロの記者の方々が、きっといい記事を書いてくださいますから、掲載されるのをチェックしましょう。今日はさっそく、あの!産経新聞の福島香織記者にインタビューを受けたそうです。
■渾身の名文・ぜひお読みください ⇒ 『風の馬』をめぐるエッセイ: 「心偽れぬチベット」

取材の様子については、ささ監督ご自身のブログをチェック!

d0046730_022642.jpg


……どうです、このチャーミングな雰囲気! 信じられないくらいキュートでしょ?
(言うまでもないことですが、可愛いだけじゃないですよ! 若くして、チベットのドキュメンタリーを撮っていらっしゃる人ですから。頭脳明晰で、抜群に行動力のある人です。)

お電話でお話ししていて、パワフルな人という印象がありましたが、お目にかかるなり思わず、キラキラとつよく輝く黒い瞳に、ほぉーっと見とれてしまいました。こんなに華奢で若々しい美人が、パルデン師のような激しい宿命を背負っている人間を、どのようなドキュメンタリーで表現なさっているのでしょうね。

魅力的な日本人女性が世界を舞台に活躍してくださるのは、やっぱり嬉しい。そろそろ初老にさしかかっている自分(笑)としては、ありがたくも心強いかぎりです。
まことさん、これからもがんばってください。応援しています。

★★★★★★楽監督にインタビューを希望される方は、大至急アップリンクへ連絡されるか、あるいは
reprint.fire.under.the.snow[at]gmail.com までご連絡ください。★★★★★★
[PR]
by epea | 2009-02-26 02:01 | 『雪の下の炎』 復刊

楽真琴(ささ・まこと)監督、帰国中

ささ・まこと監督、昨夜ご帰国になりました。
で、さっきまで長電話していました(笑) パワフルで気さくで、闊達な方でいらっしゃいます。

『雪の下の炎』、プレミア上映会は3月10日&14日ですが、
渋谷アップリンクにて、本格ロードショーも4月11日から約一ヶ月間、決まっています。

チケットの販売については龍村事務所の方々がご尽力なさっていらっしゃいますので、まだの方はぜひこちらからどうぞ。前売り価格で予約できるそうです。
目標、2000枚だとか。1ヶ月あるからなんとかなるんじゃないかな? 楽観的・・・!?

ささ監督も、これからはどんなにスケジュールびっしりで疲れていてもブログを更新してがんばってPRする!とのことですので、コメントを入れて応援しましょう!! 
「日本語版字幕つき劇場板マスターテープのアウトプット」とか、私には何がなにやら・・・映画制作の裏話、おもしろいですよ。
■ささ・まこと監督のブログ ⇒ Fire Under the Snow

で、昨年から大事に育ててきたMixi『雪の下の炎』スレッドでは今、「ささ監督祭り」真っ最中です。皆さんお誘いあわせのうえ、ぜひお越しください。いろいろ、レアな話がじかに聞けちゃうかも?
[イベント]【重版決定!】 『雪の下の炎』書店で発売中 【ささ監督降臨!】
[イベント]チベット映画上映 風の馬 & 雪の下の炎
[PR]
by epea | 2009-02-25 00:23 | 『雪の下の炎』 復刊

日本初上映・チベット潜入映像 『チベット、抵抗の50年』 3/7(土)19:00-

イベントのお知らせです。

『チベット、抵抗の50年』 by Students for a Free Tibet Japan
3/7(土) 19:00 -
国立オリンピック記念青少年総合センター 大ホールにて

何しろ、日本では初上映という、チベット本土の模様を伝える貴重な映像
"Undercover in Tibet (チベット潜入)" が、激しく気になります!
また、数多くの団体が協賛しているため(超豪華)、多彩な顔ぶれになると思われる講演者の面々からも、おもしろい話が聞けそうな予感。

なお、上記リンク先のSFTJのサイトから簡単なフォーム送信ボタンで申込みできますが、私の使っているgmailアカウントでは、SFT Japanからの返信(申込み直後に来ました)がゴミ箱に分類されてしまいました。皆さんもご注意ください。

**********************************************
■開催日時 
2009年3月7日(土)開場 18:30 開演 19:00

■会場
国立オリンピック記念青少年総合センター 大ホール(渋谷区代々木神園町3-1)小田急線参宮橋駅下車 徒歩約7分

■参加費
1000円(当日受付でお支払いください)

■お申し込み
事前申し込みを2009年2月22日(日)よりSFTJ WEBサイトにて承ります
ご記名のお願い:会場の都合上、参加者リストを作成し、会場に提供しますのでご了承ください

■開催趣旨
 2008年3月10日、チベット問題は新たな局面を迎えました。ラサ近郊のデプン寺の僧侶、およそ300人がラサ市内へ向かって行進を始めたことがすべての始まりでした。同じ日、セラ寺の僧侶14人もジョカンの前で抗議を行い、すぐに逮捕されました。彼らの勇気は人々の心を打ち、この抗議はチベット全土に広がる歴史的な蜂起へとつながっていきました。老いも若きも、僧侶も尼僧も農夫も牧夫も職人も、中国各地で学ぶチベット人学生でさえ、危険を冒して抗議に参加したのです。
 この抵抗の精神は、あの1959年3月10日から半世紀に渡って受け継がれてきたものです。チベットに侵入した中国軍に抗議し、ダライ・ラマ法王を護ろうと多くの市民が立ち上がった記念すべき日から50年。あの時、命がけで立ち上がった数万のチベット人たち、彼らの子供たちに受け継がれた切実な願いは果たされぬまま、半世紀が過ぎることになります。
 SFT Japanはこの抵抗の50年を振り返り、国内外の人々に広くチベット問題を喚起し、チベットの人々とサポーターとが共に解決を目指すことを目的に、記念イベントを開催します。
 自由を謳歌する人々には、世界をよりよい方向に変えていく力と責任があります。この半世紀の間、絶えることなく流され続けた涙や血、そして失われた多くの命に想いを馳せ、その間決して諦めなかった平和と自由の希求を、皆様と一緒に決意しましょう。多くの方のご来場をお待ちしております。

■プログラム
*チベット本土の模様を伝える映像
"Undercover in Tibet"(チベット潜入)上映
*講演/スピーチ
* チベット問題を考える議員連盟
* ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
* 在日チベット人コミュニティ

■主催
* Stundents for a Free Tibet Japan(SFT日本)

■特別協力
* ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
* 在日チベット人コミュニティ
* チベット問題を考える議員連盟

■協力
* アムネスティ・インターナショナル日本 チベットチーム
* ド・ガク・スンジュク
* Gaia Symphony(ガイアシンフォニー)
* ルンタ・プロジェクト日本事務局
* MMBA(文殊師利大乗仏教会)
* TCP(チベタン・チルドレンズ・プロジェクト)
* チベコロ
* チベせん(チベットサポート仙台)
* Tibet Support Group KIKU

■補足・追記
ご多忙とは存じますが、お一人でも多くの方々のご参加を心よりお願いいたします。

またお申し込み方法などの詳細は下記のWEBサイトをご覧下さいますよう、よろしくお願いいたします。
http://www.sftjapan.org/nihongo:50event

**********************************************
[PR]
by epea | 2009-02-23 00:06 | チベット・中国関連

Wall Street Journal: ギャロ・ドゥンドゥップ氏インタビュー

ウォールストリートジャーナル紙2/20掲載の、ダライ・ラマ法王兄君ギャロ・ドゥンドゥップ氏へのインタビュー。

Phayul記事の翻訳で孤軍奮闘なさっているJiro Siwakuさんより声をかけていただき、チベット系のML用に大急ぎで訳したものですが、こちらにもご参考までに転載しておきます。(あまりよろしくない日本語で、すみません。)

ちょうどジャムヤン氏のエッセイにおいても触れられていましたが、このインタビューでドゥンドゥップ氏は50年~60年代にかけて行われたとされる、チベット武装抵抗運動へのCIAの関与について答えています。 また、(ジャムヤン氏が疑問視している)鄧小平氏との「約束」についても回想しています。

なぜ、今このタイミングでWSJにドゥンドゥップ氏のインタビューが掲載されるのか、少し気になるところです。

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=23866&article=Gyalo+Thondup%3a+Interview+Excerpts
***************************************************
ギャロ・ドンドゥップ氏 インタビュー抜粋
Gyalo Thondup: Interview Excerpts
Wall Street Journal[Friday, February 20, 2009 13:59]

WSJ紙との一連の独占インタビューにおいて、ギャロ・ドゥンドゥップ氏は現代チベットにおける自身の画期的な役割について明かし、北京(中国政府)と自身の弟であるダライ・ラマ法王との間に広がる亀裂を収めようという長年の努力について語った。ウォールストリート・ジャーナル紙がPage One article において(訳注・全文読むには購読が必要)、武装チベット人による中国支配への抵抗運動を組織したドゥンドゥップ氏の役割について紹介する記事を出した数週間後に、80歳であるドゥンドゥップ氏は当インタビューで話すことに応じた。

氏はインドのヒマラヤ山麓にある質素な家――昔サンフランシスコを訪れた際に200ドルで購入した建築プランで建てたという――に記者を招き、中国との交渉にまつわる回想を語った。

1940年代初め、チベット摂政より中国語(北京語)と中国史を学ぶべく派遣され、中華民国政府の首都に赴いた時について:
「14歳で私は南京へ勉強に行きました。中国の一般の人々から、どこから来たのかと尋ねられたものです。私がチベットから来た、と答えると――彼らは私を見て言いました。『チベット? どこにあるんだ?』」

中華民国・国民政府指導者だった蒋介石との謁見について:
「南京にある彼の家に、晩餐に行ったものです。彼は、私が中国について学ばなければならないと告げました――ダライ・ラマが権力の座に就いた時、非常に重要な役割を担うだろうから、と。『中国政府はチベット人が外国勢力に搾取されるのを望まない』と、彼は言いました。飾り気のない、正直な人物でした」

1949年、中国共産党が権力を掌握した後にチベットに戻って:
「軍部がアメリカのスパイを壊滅させようとしていました。二人のチベット人摂政がアメリカの手先として糾弾されました。私は、彼らはとても正直な人間だと軍の将校らに告げました。彼らはアメリカに行ったことはなく、アメリカに行きたいとも思っていない。アメリカが地図上のどこにあるのかすら知らない。私は中国政府に、間違った非難・告発を行わないよう要求しました。この非難が悪い影響を生み出し、チベットの大衆が中国に対する反感を抱くようになったのです」

なぜ、後の1950年代初期にインドへ逃れたのかについて:
「私は、わが民に対立する協力者、自分の良心に反する協力者になることはできませんでした」

CIAと連携し、1950年代後期に始まったチベット域内における武装抵抗運動の組織を支援したことについて:
「私はけっしてCIAに武力による支援を仰いだことはありません。政治的な支援を求めただけです。私はチベットの状況をできるだけ広めたかった、ちょっとした騒ぎを生み出したかったのです。アメリカはチベットを独立国にするための支援を約束してくれました。ですが、こうした約束はすべて破られてしまいました」

CIAとの協力関係が(1960年代後半に)終わった後に感じたことついて:
「アメリカはチベットを助けたいわけではなかった。ただ、中国に対して問題を起こしたかっただけだったのです。チベットに関して明白な将来像を持っていたわけではありませんでした。私はこの(秘密活動)訓練を受けることはありませんでした。私達はパワーポリティックスについて無知だったのです」

CIAの作戦におけるダライ・ラマの役割について:
「ダライ・ラマに対して、私が個人的に関わることは決してありませんでした。ダライ・ラマ法王は(1959年に)インドへ脱出する後までは(CIAの作戦について)何も知りませんでした。私は、絶対に家族を自分の職務に巻き込むまいとしていました」

チベットにおいて、アメリカではなくソ連との協働に関するKGB将校との会話について:
「彼は『あなたはずっと暗闇にいて、まもなく売られてしまうだろう(訳注・You'll be sold
out:「金で身柄を売買される」の意か?不明です)。もし我々が助けると約束すれば、我々は助けます』と、私に告げました。私は彼らの関心に感謝を述べた後、アメリカ人達に、ロシアが支援を申し出てきた、と話しました。CIAはショックを受けたに違いありませんが、彼らは沈黙を守っていました」

CIAの支援を受けたチベット武装レジスタンスを回想して:
「CIAによる支援が有効だったとは言えません。彼らに提供されたどのような支援であれ、それは中国を大いに刺激しました。報復を呼ぶことになったのです。このことについて、非常に悲しく感じました」

1979年、上記の武力闘争運動があえなく収束した後に香港で暮らしていたドゥンドゥップ氏に、中国政府役人が接近した。彼らは中国の指導者鄧小平との会談を提案した:
「私が行くなら、まず弟の許可を得なければならない、と告げました。法王は次のように言いました。『あなたは応えなければなりません。自分自身の資格において、行ってください。行って、話を聞いてきてください』」

中国最高指導者、鄧小平氏について:
「彼は私に、どんなものであれ過去は過去、と述べました……独立を除いては、いかなる事柄も話し合いの対象になる、と」

ドゥンドゥップ氏はそれから、中国のチベット域における政治・文化・宗教上の自治を拡大するべく、14年間にわたって公式・非公式の中国との会談を行ってきた。会談は失敗に終わり、ドゥンドゥップ氏は弟の特使としての役割から退いた。
「1993年、私は中国政府に対して、無意味だと告げました。それは、片手で拍手しようとするような試みでした」

しかし、拡大されたチベット自治という変わらぬ目標を心に抱いて、ドゥンドゥップ氏は中国政府官僚とのコミュニケーションの経路を保持している。
「彼らが目覚めてくれることを望んでいます。時は訪れました。さもなくば、私は将来を予言することなどできません。もし彼らが私との会談を再開したいと望めば、私はすぐにでも行くでしょう」

(以上)
***************************************************

Siwakuさんに要請いただいた時、ちょうどジャムヤン氏エッセイの最後の部分を翻訳していたところだったので、もしかしてSiwakuさんはこちらのブログを見て、内容の関連性を考えて声をかけてくださったのかと思ったのですが、そうではなく、単なる偶然だったみたいです。ちょっと不思議なタイミングでした。
[PR]
by epea | 2009-02-22 22:32 | チベット・中国関連

『さして特別でもない会議』 (4)

(続き)

前の部分で述べたとおり、チベット政府は中国との交渉を中断するべきだ。私は自分の入っていた委員会で、次の数か月の間に導入されるべき論理的な次の段階、フォローアップするべき行動があるとして、チベット議会独立検討協議会(Rangzen Review Commission of the Tibetan Parliament)の設立を提案した。年長の国会議員からメンバーを選抜して協議会を構成し(閣僚メンバーを含めてもよい)、独立支持派系組織の指導者やスポークスパーソン、活動家達から証言や供述のヒアリングを行うのだ。協議会は彼らに、チベットの独立が可能だと考える理由や、そのための計画や戦略などについて質問する。協議会はまた学者、政治学者、法律家、歴史家、作家達から、専門家としての意見を求めることもできる。

私は次の点を強調した。
「このような協議会の設立は、チベット政府に独立の方針を採用するべく責任を負わせたり約束させるようなものではない。だが、チベット亡命政府はただ単に中国政府との交渉を望んでいるだけでなく、別の代替案も保持しているのだ、ということを、明らかに示すことができる。
さらに、こうした協議会の設立は、11月10日の中国政府によるきわめて侮辱的な記者会見に対する、尊厳をもった適切な返答になるだろう。
なにより最も肝心なのは、こうしたすべての段階が、チベット人の闘いにおける将来の方向性に関する真の国家レベルの議論へとつながるであろうということだ。」

方針の見直しについては、別の委員会でも同様の提案が行われていたようだった。ある委員会では、中道路線方針自体が見直しされるべきだという提案もなされた。こうした案は、独立支持派(ランゼン)活動家達から提出されていたに違いないが、交渉の完全な失敗に加えてチベットの難局に対する亡命政府のまったくの無能さに危機感を募らせた、退職官僚達からも提案されていたようだった。

特別会議の最終日には、すべての参加者がTCVの講堂に集合し、委員会ごとに報告書が読み上げられた。報告書には、チベット人居住区・センターで事前に行われた市民集会の議事録や決議文が含められたため、各委員会でどのような討議が行われたにせよ、大部分においてその内容を圧倒していた。独立支持派(ランゼン)唱道者によって提起された代替方針案や戦略についてはほとんど言及されることはなかった。特別会議の最終セッションでは、ほぼ満場一致に近い中道路線方針への支持と、ダライ・ラマ法王によるいかなる決定に対しても無条件に受容しようという、明らかに否定のしようがない雰囲気が生み出されていた。

サムドゥン・リンポチェ首相の結びのスピーチでは、90%以上のチベット人が明白にダライ・ラマ法王の中道路線アプローチを支持したとの主張のもと、中道路線方針の勝利が宣言された。私は翌週にニューデリーで開かれたチベット支援グループ国際会議には出席しなかったが、そちらでもサムドゥン・リンポチェ氏が同じような数字を引いて勝利宣言をおこなったと聞いている。

この最後の不愉快な問いに、かまける必要はないと思う。すべては最初からお膳立てされていたのか? 特別会議は、昨年3月にランゼン(独立)を求める蜂起の激しい嵐をチベット全域に吹き荒れさせ、後の11月10日には北京によって屈辱的なまでに拒絶されたその方針を、一般大衆に支持させるために、亡命政府によって仕組まれたものだったのか? あるいはもうひとつの可能性もある(私も一部ではまだ、こちらを信じたい)。ダライ・ラマ法王がご自身の中道路線方針の欠点を認識するにいたり、誠実に、ただ代替のアイディアや戦略を聞きたいという純粋な希望をもって、特別会議を要請した。それが、従者や役人達などの中で現状を維持することで既得権益を保ちたい者達によって、「チベット人一般は熱狂的にほとんど全員が法王の中道路線を支持しており、法王への信用は決して揺らがず、法王のいかなる決定に対しても疑問を持たない」といった空気が支配するようにと、この会議は不正に操られたのかもしれない。

だがそれも、次のような疑問を投げかける。なぜ法王は、特別会議に出席した大部分の人々が、常に法王ご自身の考えや思いをオウム返しに繰り返すばかりでどんな状況にあっても絶対にご自身とは対立しないような人々ばかりだったということに、気付かなかったのだろうか。なぜ法王は、本当に専門家や知識人や独立した意見をもつ人々を招集して、現在の危機に関する彼らの意見を単刀直入に尋ねなかったのか(委員会や首相による介入なしに)。法王ご自身は、物理学者や認知科学者の国際的な会議に参加したり、議長を務められたこともあり、おそらく、いかなる真理の追究においても、純然たる専門性と独立した恐れを知らない思考の価値が、信仰と専心(没頭)よりも好ましいことを、よくご存じでおられるはずなのだ。

どうやら特別会議は、それが答えを出すと想定されていたよりも多くの問いを、提示したと言ってもよさそうだ。

(終わり)
***********************

・・・長かったですね(汗) 
お付き合いいただき、ありがとうございました。

特別会議について、これほど率直な感想は他で見かけない気がしますが、いかがでしょう。
元記事の下に寄せられている読者コメントの数々も、たいへん興味深いです。

チベット仏教の高僧や法王の説いておられる高邁な理念を尊く感じるあまりに、私達はついチベットの人々に過剰に期待してしまう傾向もあるように思います。ジャムヤンさんは、同じ生身の人間であるチベットの人々が外界からの一種過剰なステレオタイプを投影されて息苦しいであろうところを、いつも鋭い舌鋒で突破なさっているので、人々の人気を集めていらっしゃるのではないでしょうか。
[PR]
by epea | 2009-02-21 19:03 | Jamyang Norbu

重版決定しました


重版決定、だそうです。。

信じられない。夢みたい。
だめだ、泣きそう。


**************************************
復刊ドットコムからのお知らせです。

『仏教』『チベット』『新潮社』『今週の復刊』『映画の原作(邦画)』
『宗教全般』特集に関連するリクエストにご投票、商品をご購入いただき
ました皆さまにご案内いたします。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

復刊ドットコムで171票ものリクエスト投票を集め、先ごろ復刊が実現
した『雪の下の炎』。好評により早くも重版決定です!
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68310729&tr=s

本書『雪の下の炎』は、28歳の時に身に覚えのない容疑で中国政府に逮
捕されて以来、実に33年もの長きに渡り、過酷な投獄生活を強いられた
チベット僧パルデン・ギャツオによる、偽らざる真実の記録です。

復刊後の反響も著しい本書ですが、本書をもとに昨年制作されたドキュメ
ンタリー映画『雪の下の炎』(監督:楽真琴)が、この度待望の国内公開
決定! 4月11日(土)渋谷アップリンクを皮切りに、全国で順次公開
される予定です。

映画『雪の下の炎』(アップリンクHP内)
http://www.uplink.co.jp/x/log/002948.php

これに先駆け3月2日(月)に渋谷アップリンクにて行われる先行試写会
に復刊ドットコム会員の皆さまの中から、抽選で10組20名様を特別に
ご招待いたします。また当日は上映後、監督・楽真琴氏監督によるQ&A
も予定されています。どうぞふるってご応募ください。

応募方法など、詳細につきましては下記をご参照ください。なお、試写会、
応募に関するご質問、お問合せはアップリンクまでお願いします。

[お問合せ先:アップリンク]
film@uplink.co.jp


-------------映画『雪の下の炎』先行試写会にご招待!-------------

パルデン・ギャツオ氏の過去の記録、そして現在の活動に密着したドキュ
メンタリー映画『雪の下の炎』が4月11日に公開いたします。

公開に先立ち先行試写会を開催いたしますので、「復刊ドットコム」会員
の皆様から抽選で10組20名様をご招待させていただきます。

NY在住の日本人女性監督、楽真琴(ささまこと)氏の一時帰国に伴い映画
上映後、監督によるQ&Aもございます。

========================================
■日時:3月2日(月) 15:00開場/15:30開映(17:15終了予定)
■会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
(渋谷区宇田川町37-18トツネビル2F)
http://www.uplink.co.jp/info/map.html

■応募締切:2月27日(金)正午
■抽選発表:当選者の方へのみ、2月27日(金)中にメールにてご連絡いた
します
========================================

★http://www.uplink.co.jp/x/log/002948.php

【応募方法】
件名を「3/2雪の下の炎試写B」とし、
応募要項を明記のうえ、下記メールアドレスまでご応募ください。
<応募要項> (1)お名前 (2)職業 (3)性別
(4)映画を観たいと思った理由
<応募アドレス> film@uplink.co.jp
[PR]
by epea | 2009-02-20 16:22 | 『雪の下の炎』 復刊

『さして特別でもない会議』 (3)

(続き)

もちろん、中道路線支持派の全員が、かくも公正さに欠けた遣り口を使っているわけではない。私は、ダライ・ラマ法王の中道路線の熱心な支持者であり、この問題について一般人に教育しようと居住区やコミュニティを旅して回っているという、セラ僧院の若い僧侶に会った。彼と私は、VOA特派員が組織したパネル・ディスカッションに参加した。彼は非常に友好的な態度で、彼自身の認識している中道路線における哲学的な長所について、私を説き伏せようとした。ディスカッションの司会者が彼、ナムギャル・シャスティに、「中道路線推進派が行っていると伝えられている脅しの作戦を彼もまた使ったことがあるか」と尋ねた時、彼は断固として否定した。私は、この僧侶は知的には素朴ではあるが、誠実で善意の人であると感じた。

にもかかわらず、中道路線を主張している政治組織や役人達が、教育を受ける機会のなかったチベット人公衆の無知や恐怖感を利用するような議論や方法を使っていることについては、疑いの余地がない。これは、私自身が受け取っている報告のみならず、特別会議で中道路線支持派の多くが使っていたレトリックからもきわめて明らかになっていた。この大々的なプロパガンダ・キャンペーンはよく組織立ったものであり、疑いなく潤沢な資金に恵まれていたと思われるが、チベット政府かサムドゥン・リンポチェ首相がある程度関わっていたかどうかについては不明である。委員会でのいくつかのスピーチからは、このキャンペーン中にランゼン(独立)活動家を悪者扱いする活動も数多く行われていたことが明らかになってきた。

私の委員会にいたウ・ツァン協会の会長は、中国との交渉の失敗はチベット青年会議(TYC)などの組織のせいであるとして、ひとしきりスピーチを行った。彼は、こうした活動家の組織は、北京オリンピックや聖火リレーに対する抗議活動を通じて、故意に中国政府や中国の人々を挑発した、と主張した。彼はさすがに、チベット域内で立ち上がった抗議者達を非難する寸前で、踏みとどまった。彼は、法王の悲嘆や失意はチベット青年会議の活動によってもたらされた、とも付け加えた。また、2008年のチベットへの平和的な帰還マーチ(Peace March to Tibet)にかかわった複数の組織は、明らかに法王に対する不服従を示したのであり、法王に苦悩をもたらした、という批判も展開した。

これは甚大な脅しの戦術だ――もし私達がダライ・ラマ法王にこれ以上の苦悩をもたらすようなことがあれば、法王はその地位から退いて指導者としての役割を放棄するだろう、すなわち事実上私たちすべてを見棄てるだろう、という主張である。「この恐ろしい災難を防ぐには、法王に絶対的で批判の皆無な忠誠を表明し、私達が中道政策を含む法王のすべての方針を徹底的に支持することを、法王にお誓いするのだ」……こうした発言は感情的でスピリチュアルで、疑いなく脅迫ですらあったが、効果てきめんであった。

私は読者の皆さんに、特別会議では意見の相違や独特の考えがまったく示されなかった、という印象を与えたくはない。少数派ではあったものの、ランゼン主張派は沈黙せずに様々なアイディアを提案した。そのうちのいくつかはきわめて急進的なものだった。チャクラタ出身のとある退役した空挺部隊員は私達の委員会でリーダーの役割を務めていたが、チベット域内で中国軍支配に対抗するためにゲリラ活動が遂行できることがチベット人には必要であると、熱心にスピーチした。その活動のために自分自身も志願する用意がある、とも明言していた。

中道路線派は、ここぞとばかりに彼に襲いかかり、ダライ・ラマ法王とその非暴力主義に対する反抗者の代表として、非難の集中砲火を浴びせかけた。しかも私には、その非難の仕方があざけっているかのようにも思われた――まるで、かつて国のために闘ったチベット人達が、不実で愚かであると見せかけるかのような非難のやり方だった。

腹立たしく感じたので、私はかなり詳細な反論をおこない、次のような点を指摘した。ダライ・ラマ法王は闘う人々によって中国人から救助されたのであり、法王は祖国のためにチベット人達が闘うことを認めているのみならず、彼らに特別なメッセージを送ってさえいる。そのメッセージは数千枚も印刷されて、中国人に対して人々が蜂起してきたソク、ナクツァン、ペンバの空にばらまかれたのだ。

私はまた、次の事実についても皆に思い出してもらうよう促した。チベット亡命政府はチベット人が特殊国境部隊(Establishment 22; Special Frontier Force)に入隊するのを認めていたのみならず、(70~80年代にかけては)チベット難民学生に対して、12年生の後の一定期間、この軍隊に奉仕することを義務付けてさえいたのだ。ダライ・ラマ法王も、インド政府がこの部隊を1971年のバングラデシュとの戦争に派兵することに反対はせず、その戦いでは大勢のチベット人が戦闘中に亡くなっている。法王自身もこの部隊の基地であったチャクラタにおける勝利パレードに臨席し、行進する兵士達を閲兵した。要するに、もしすべてのチベット人がダライ・ラマ法王に忠誠を示すために非暴力主義に固執しなければならないとしたら、法王のボディガードでさえ、誰かが法王に攻撃を加えたとしても自分の武器を抜いてその不審者を撃つことすらできなくなってしまうのだ。

その退役軍人が独立支持派かどうかについては、私が言うまでもないと思う。自由を求める現在の私達の闘いにおけるゲリラ戦の有効性について、彼の意見に賛成するか否かはともかく、人は少なくとも、彼の意見は彼自身のものであると認めざるをえない。そしてこの点こそ、ランゼン活動家を中道路線推進派から根本的に隔てている特徴なのだ。中道路線推進派は、その信条のすべてをダライ・ラマ法王に対する疑いを差しはさむことのない信仰に根ざしている。中道路線信者があらゆる話し合いで提示するすべての議論は、常に変りなく、公式なものなのだ。

ランゼン活動家やその擁護者は、特別会議において明らかに少数派であったにもかかわらず、オリジナルで検討の価値あるアイディアや提案は、このグループの人々から提出されているように思われた。私自身もいくつか提案した。ここではすべてを詳しく述べる必要はないが、ひとつだけ時間をかけて考えたものを紹介しておく。

(続く)
[PR]
by epea | 2009-02-20 03:58 | Jamyang Norbu

『さして特別でもない会議』 (2)

(続き)

多くの市民集会は、9月に特別会議の開催が公表されて間もなく、ほとんどのチベット人居住区において開かれていた。私の元に寄せられた報告によると、市民集会は中道路線政策に対する一般人の熱心な支持や承認を生み出すような雰囲気のもとに開かれていたようだ。いくつかのケースでは、チベット人は中道路線に関する議論は望んでおらず、人々は、そうした事柄全てについて正しい決定を下すダライ・ラマ法王の全知全能の力に全幅の信頼をおいている、といった印象だった。もちろん、多くのチベット人にとってそうした信頼は完全に自然なものであり、そうした心情を吐露させるのに政治家による操作などは必要ないだろう。
その一方で、過去多年にわたる交渉の努力が継続的に失敗してきたこと、そして2008年3月以降にチベット全域で発生してきた蜂起のスケールによって、中道路線という方策に疑問を感じるチベット人もまた、増加しつつあるのだ。市民集会が前もって開かれていたのは、おそらくチベット社会におけるそうした考え方の機先を制する意図もあったように思われる。

「中道路線のためのチベット人民運動(Tibetan People's Movement for Middle Way)」は、中道路線についてチベットの人々を啓蒙するためのワークショップや会合を組織する、と宣言した。他の政治団体や地方組織、居住区指導部でさえも、調整のいきとどいたこの運動に参加しているようだった。私の受けた報告によれば、この運動全体はネガティブな雰囲気に満ちていて、中道路線政策を推進・正当化するための議論は、もっぱら脅しのような作戦から構成されていた。

この作戦のために利用された根本的な恐怖感は、独立と中道に関するあらゆる議論において耳にしてきたものだ: 「チベットの宗教や文化、アイデンティティでさえも、中国人口のチベットへの急速な流入によって完全に破壊され、拭いさられてしまうであろう。したがって、私達には独立を求める闘いを繰り広げている時間はなく、中国下における『実質的な自治』を受け入れるしかない」という考え方だ。ここでは、「たとえ私達が独立という目標をあきらめたところで、中国は決して人口流入や文化的虐殺を止めない・それどころか止めることをほのめかしすらしていない」という事実については、どういうわけか常に見過ごされてきた。

代わりにいつも持ち出されるのは、1979年に鄧小平氏がギャロ・トゥンドゥップ氏(訳注・79年会談時のチベット側特使。法王の兄)に約束したとされている「保証」――「チベット人が独立を放棄すれば、それ以外のすべての事柄が話し合いの対象となる」というものだ。鄧氏は「そのような約束をしなかったのかもしれない」、またはもっとありがちな可能性として、「ギャロ・トゥンドゥップ氏が解釈したほど希望的な言質が与えられたわけではなかったのかもしれない」といった事実については、けっして考慮されないのだ。鄧小平氏のそのような発言の可能性について、中国官僚がにべもなく(そして軽蔑を込めて)否定したあの11月10日の北京会見の余波においてさえ、鄧氏の「約束」に対する信心が欠けることはなく、いまや中道路線に身を捧げる人々にとって、それは犯さざるべき精神的な真実といった様相を帯びている。

この鄧小平氏の「約束」について私の委員会でも話題になった時、私は最後の香港総督を務めたクリス・パッテン氏が著書『東と西』の中で、「イギリス植民地だった香港の中国への返還に際して、北京との交渉にあたっていた西側の交渉担当者にとっては、中国指導部重鎮らの保証や約束を額面どおりに受け取らないことがきわめて重要だった」と強調していたことについて述べた。私はまた、中国との交渉に関してはその他の書籍や出版物においてもこの問題が指摘されていることも付け加えた。だが、私はまるでレンガの壁に向かって話しているかのようだった。

もう一つの脅し戦術は、「もし私達が中道路線を放棄して独立を掲げるようになったら、チベットの大義は世界各国の支持を失ってしまうだろう」というものだ。ダライ・ラマ法王が欧米諸国を旅して受ける暖かい歓迎や、中国に法王との対話を求める各国のリーダーや政治的指導者達の声明は、中道路線政策への支持の証であるとして、素朴なチベット人たちは単純に解釈してきた(時に、この解釈はチベット政府官僚によっても流布されている)。

だが言うまでもなく、中道路線政策において掲げられている詳細事項――古くからのチベットの三つの地域(青海省全体と甘粛省・四川省・雲南省の大部分を含む)の統一、中華人民共和国内における民主的な自治統一体の樹立――について、立ち上がって明らかに支持を表明した西欧諸国のリーダーなど、一人もいないのだ。
西欧諸国のリーダー達が時おり中国指導部に「促して」いるのは、「ダライ・ラマ法王の平和的なチベットへの帰還」に関する法王との話し合いについてであり、それ以外の目的に関する対話の可能性についてはいっさい言及していない。法王の金メダル授与式において、アメリカの指導者達がおこなったスピーチを聞けば(DVDで発売中)、彼らが中国指導部に対して、法王の「チベットへの帰還」を許可せよ、と主張している例をうんざりするほど聞くことができる。「中国への帰還」を許可せよ、としている発言すらある。

世界各国のリーダー達のほとんどは、中国がダライ・ラマ法王に対していかなる有意義な譲歩も行わないであろうことを十分に認識している。けれども、対話を支持するジェスチャーをしておけば、各国リーダーは自国民に対して格好がつくし、チベット問題に本気で取り組むことによって中国を怒らせ、貿易関係に悪影響を及ぼす、といった事態を回避することができる。

中道路線推進派によって使われている、きわめて不正直で潜在的に軋轢をもたらしかねないもうひとつの主張は、「チベット人が中道路線を放棄して独立を宣言したら、インド政府はすべての難民をチベットへ強制送還してしまうだろう」というものだ。

中道路線推進派のさらにもうひとつの主張についても、述べておくほうがいいだろう。これは老年世代のチベット人達、特にダラムサラにある老人ホームのような施設に入っている人々を大いに心配させている考え方だ。それは、「もしチベット人が政治的な独立を求めるようなことがあれば、西欧からのチベット難民への支援が打ち切られ、injiスポンサー達(jindak) も支援をやめてしまうだろう」というものである。私は、少なくともダラムサラで話した2、3人の老人達からこの意見を耳にした。もし読者の方々が似たような話を聞いていたら、詳細を教えていただきたい。

(続く)
[PR]
by epea | 2009-02-18 02:27 | Jamyang Norbu