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近況

なかなかブログを更新する心の余裕がありませんが、元気でやっています。
今、自分の中では仕事以外で大切なことが3本、走っていて、そのうちの一つが10日後に終わります。
もう一つ、やや調整の難しかったものは、関係者が協力的に動いてくださっているおかげで山を超えることができそうで、ほっとしています。

詳しくは、また数日後に。。
いろいろありますが、結果的にはいい具合に運んでいきそうな、ありがたい状態です。
見えないところで尽力されている人々に、心から感謝します。
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by epea | 2009-11-14 23:32 | 日常雑記

芸術フォーラム上映会 / 安堵したこと

本日7日(土)、上野で上映会があります。
お時間あるかたは、ぜひどうぞ。

特に『悲しみの湖をわたって』は、先日ご紹介したラモ・ツォさんのドキュメンタリーです。短い作品ですが、心に沁みます。この機会に間に合わせるように、ルンタ・プロジェクトの皆様と有志の皆さんががんばって日本語字幕版を作成してくださったとのことです。ご期待ください。

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守りたい天空の至宝 ~聖地チベットを考える~
チベット芸術フォーラム 第3回


いまのチベットを知るための3つの映像
『ヒマラヤを越える子供たち』『恐怖を乗り越えて』
『悲しみの湖をわたって』

日 時: 2009年11月7日(土) 14:00〜16:00
会 場: 東京都美術館 東京都台東区上野公園8-36
入場料: 無料
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先日、平日の午後に諸々の用事の隙間をぬって、上野の森美術館に行ってきました。来年早々ある企画を手伝うことになり、そのために展示内容を自分の目で見ておく必要ができたためです。

会場では思いがけなく、著名な青年実業家の姿を見かけました。青年実業家といっても、ヒルズ族のイメージに代表されるような足元のあやういタイプの起業家ではなく、健全な動機にもとづいて着実に業務を拡大している(と思われる)人です。2か月ほど前には日本のビジネス界を代表して、オーストラリアのラッド首相と対談しておられました。

展示コーナーの片隅で紹介されていた10分弱の映像を最後まで見届けてから、会場を出ていかれました。お顔を見た瞬間に「あっ」と思ったものの、しばらくの間どなたか思い出すことができませんでした。ふだん公の場に出てくる時の、白ワイシャツに濃紺のスーツ、ネクタイをきっちり締めて、多くを抱えてボコボコになっている姿(太っているという意味ではありません)とはまったく異なる雰囲気だったし、まさか、その実業家をチベット展の会場で見かけるとは……イメージが違いすぎる(私の偏見だったのでしょうが)。

明るい色のセーターにジーンズと、リラックスした格好で、すっきりと冴えた顔だち。瞑想系の修行者のどなたかだったか?にしても、誰だったか……? などと勘違いしたまま記憶を探っていて、思い当たるまでに時間がかかりました。

安堵しました。社会に実質的なインパクトを与える仕事に取り組んでいる青年が、多忙をきわめる日常の合間を縫ってチベット展に足を運んでいるという事実には、希望が持てます。アンテナを張っている人々には、ちゃんと伝わっている。こういう若い人々が担っていってくれたら、日本の未来も明るい方に向かっていきそうです。
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by epea | 2009-11-07 03:50 | 日常雑記

『修行道の三要素』 (3)

週末を過ぎて、すでに記憶があやふやになっています。初心者の低いレベルではこのように聞こえる/この程度にしかついていけない場合もある、という程度のメモですので、何とぞご了承ください。

*****(続き・配布テキストの解説)**********
■ツォンカパについて
14~15世紀の人。アティーシャのカダム派を受け継ぎ、ゲルク派を築きあげた。
顕教、密教ともに重用。マルパのカギュ派、サキャ派の教えも継いでおり、宗派を超えて法灯を受け継いだ。
→ すべての派の伝統を受け継ぐことを重視するのはナーランダ僧院の方針でもあり、法王もこれを支持している

(以下 『ダライ・ラマ 〈心〉の修業』マリア・リンチェン訳、春秋社、2002年 を参照)

『修業道の三要素(ラムツォナムスム)』
■第1―2節: ツォンカパによる約束と決意
・どの仏教の教えを聞くにも、偏見や拘りなく耳を傾けよ。
アーリアデーヴァ 『四百論』: 「いずれの教えも知性を用いて分析せよ。そのためには、ひらかれた偏見のない心で聞く必要がある」
→ リアリズムの重要性。現実に即した方法で分析し、判断せよ
釈尊いわく、「金の純度を調べる時には切断したり燃やしたりとあらゆる手を尽くすのと同様に、私の教えについても徹底的に吟味せよ」
→ 正しい分析とは、懐疑的な態度で対象に取り組み、あらゆる疑問に対処すること。すべての疑問を自分の知性で分析し尽くして疑いを晴らした後に、修業に入ることが大切

■第3―5節: 出離の心
・三種の苦しみ(第8節で言及)
 (1) 苦痛にもとづく苦しみ
 (2) 変化にもとづく苦しみ
 (3) 偏在的な苦しみ=釈尊のいう「出離」の対象となる苦しみ
我々の苦しみは、煩悩に汚された心と体によって次々と生じている。
五蘊をもって生まれた以上、煩悩から逃れられないと自覚せよ。
→ 断滅を目指す意思を堅持し、解脱の境地へ

■第6―8節: 菩提心
・菩提心の備えるべき二要素
 (1) 一切衆生への利他心を起こすこと
   そのための方法論として、
   ①自分と他人を入れ替えて考える。
   ②因と果について考察する。〔→輪廻の考察〕
 (2) 衆生救済のために、自分自身が一切智(悟り)の境地に入ること
   そのための方法論として、
   ①自分自身の苦しみの状況を認識する。
   ②他者もまた苦しみに喘いでいることを認識する。
→ 一切の有情への慈しみにもとづき、衆生救済を目的として自己の悟りを求めよ

■第9節以降: 正しい見解 (=空を理解する智慧)
・正しい見解を阻む二要素
 (1) 煩悩
 (2) 所知障: 煩悩が心の中に残す習気(じっけ)、残り香のようなもの。
          煩悩が退治された後に心の中に残される囚われ、妄想など。
→ 「煩悩+習気」をともに滅する力を持つことが、無知を滅し、縁起の理解へとつながる

・煩悩の源の三毒: 無知、怒り、執着。特に「無知」は、煩悩の最大の源。

・ナーガルジュナ 『中論』: 「縁起により生じたものはすべて空である。……」

・空とは、単に名義上の存在。そのように「名指されている」だけのことであり、他者に依存している。

★般若心経の一節 「色即是空 空即是色」は、次のように言い換えることができる。
 ①色即是空 =形を離れて、空は存在しない。また、
 ②空即是色 =空の性質あるがゆえに、形あるものとして(全てが)存在する。
または、
 ①色即是空 =形を離れて存在できない空 と、
 ②空即是色 =空を離れて存在できない形

■第11節
あらわれとは誤りなく縁起するものであり  = 縁起 の理解
 空とは〔自性を〕受け入れないことである  = 空 の理解
 この二つの理解が別々にあらわれている限りは
 まだ成就者〔仏陀〕の真意を正しく理解していない
1~2行目:
あらゆるものは他者に依存しながら存在し、いずれもそれ自身で実体をもって〔自性を備えて〕存在しているわけではない ⇒ 実在論の排除
・「あらわれ」のレベル(世俗諦): 縁起、因果に依っている
・「空」のレベル(勝義諦): 対象には実体がない、と理解する
釈尊の真意を正しく理解するには、この両方のレベルの理解が必要。

■第12節
空の理解によって、縁起の理解も深めることができる。(and vice versa.)
空と縁起を「同時に」理解している状態が、智慧の完成した状態。

■第13節
あらわれによって実在論を取り除き
 空によって虚無論を取り除き
 空が因や果としてあらわれるさまを知ったなら
 もはや極端論にとらわれることはなくなるだろう
1行目: 実在論の排除 (第11節)
2行目: 虚無論の排除
空とは、形ある全ての対象がもつ特質の一つである」ということ。
したがって、「空=虚無」ではない。
モノ(形)がない、という意味ではない。
モノの属性の一つとして、空を捉えること。
4行目: 二つの極端論(実在論と虚無論)の排除


……と、いうことです。
以上、(修業道の)三要素について、よく考えて、精進しましょう(第14節)。

(以上)
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幼稚なメモで、申し訳ありません。自習用のメモを公開する意味があるのかと迷いつつ、さらしています。当日聴講されたかたがた、仏教者のかたがたに、加筆修正すべき点などをご指摘いただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

個人的には最後の部分(「色即是空、空即是色」は等号記号の左右を入れ替えただけではないこと、二つの極端論の排除)の解説で、かなりしびれました。近ごろ仏教の話をなるべく聞きにいくようにしていますが、薄いレースの生地を重ねていくように、先生によって少しずつ説明の仕方が違う。子供の頃から機械的に唱えてきた般若心経の、簡潔な漢詩の裏にこれだけの意味があると知って、ちょっと興奮します。
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by epea | 2009-11-02 23:51 | 仏教関連

『修行道の三要素』 (2)

このあたりから、よくわからない個所が出てきました。多くの語彙の背後に前提とされている知識や含意が感じられ、訳のスピードも早くなるため、意味を伴って言葉を聞き取ることがなかなか難しい。特に「アサンガによる三条件」と訳されていた因の条件とは何を指すのか? 唯識の分野で定着している用語遣いがあるのでしょうか。講演で聞いた範囲の言葉でネットで調べてみましたが、わかりません。詳しいかた、ツッコミ解説をお願いします。

「自我をめぐる3つの問い」は、法王が方々の講演で、仏教哲学と他の宗教の根本的な違いを説明する際によく引き合いに出しておられるように思います。


*****(続き)****************
■次に宗教的な見地から、「いかに他者への愛をはぐくむか」について考察する。
ここで、自己愛/他者への愛について問題にしているが、自分と他人を区別しているものは何か。そもそも、自分とは? 

■自我をめぐる3つの問い:
1. 自我とは?
2. 自我に始まりはあるか?
3. 自我に終わりはあるか?


■1. 自我について
一般に「私」を指さす時、私の何を指しているのか? 自分の心臓?頭?あるいは心?
「心」を指すとしても様々なレベルがある(粗、微細、etc.)。どのレベルの心を指しているのか、実はわかっていないのではないか。

答(1) 「自我とは自分の心と体を支配する所有者を指す」とする: キリスト教など一神教
  例: アートマン(インド哲学)、soul/魂 (英語圏、キリスト教)の概念
  (仏教用語でいう)五蘊の所有者を、永遠の自性を持つものとして捉えている。

答(2) 「五蘊である自我は存在しない」とする: 仏教
  心と体の構成要素である蘊により、存在しているように見えるだけ。
  般若心経の一節「五蘊皆空」=五蘊自体も自性を欠いた空であり、したがって五蘊により構成されている自我もまた空である。


■2. 自我に始まりはあるのか?

答(1) 神の存在を受け入れる宗教
  人間は神(創造主)が作ったものであるので、始まりがある、と捉える。
  ただし、インド哲学サーンキャ派の「根本物質」の二十五項目に自我を含んでいたかどうかは不明。
〔epea注・ 「二十五の原理」「二十五諦」と呼ばれる成り立ちにおいて、純粋な精神的原理としてのアートマンに対する他の物質的原理「根本原質」から変化(開展)を起こした結果、自我意識を生じる、と説明されているようです。〕

答(2) 神の存在を受け入れない宗教
  人間の身体においても精神においても、(一般に)始まりはない、とする。
  肉体は誕生した時に始まっているように思われるが、しかしその構成要素を突き詰めて分析すると、(粗なレベル・微細レベルの)微粒子に還元される。微粒子も因果の連続体であることを考えると、〔物質的な存在である〕身体については、始まりを決定できないことになる。
  また、自我を肉体そのものではなく意識の連続体として捉える時、そこには実質因とそれを支える二次的な因が存在することに気づく。ある意識には、それに至る前の存在たる意識が前提となっており、さらにその前の意識が存在し……という連続性を見ていくと、〔精神的な存在である〕意識についても、始まりを決定できないことになる。

 (参考) アサンガによる〔意識の存するための?〕三条件
1. 無常  2. 不能なること(??よく聞こえなかった)  3. 可能性の力
一つの意識が存在するには、それに至らしめた実質因が存在している必要がある。また、同種の因を結果として生み出せる可能性を備えていなければならない。


■3. 自我に終わりはあるのか?

答(1) 神の存在を受け入れる宗教
  「魂があり、死後は神による審判を受けて天国か地獄へ行く」
   → 自我に終わりがある、としている。

答(2) 神の存在を受け入れない宗教
  仏教における二種類の考え方:
  ‐「涅槃に至った時、五蘊の連続体が途切れて涅槃に入る」: 説一切有部
  -「涅槃に至った時、五蘊の連続体とは関わりなく涅槃に入る」: 仏教一般
   → (涅槃に入ると五蘊は消えるが)自我に終わりはない、としている。


(続く)
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by epea | 2009-11-02 01:05 | 仏教関連

『修行道の三要素』 ダライ・ラマ法王東京法話の概要 (1)

東京講演のメモです。あくまでも概要で、よく聞こえなかった部分(会場のマイクの音質の設定が今ひとつだったような?)や用語などは、自分の判断で編集しながらまとめているので、間違いだらけと思います。

正確な講演録を知りたいかたはぜひ、後日発売されるであろう公式本(?)を購入して、勉強なさってください。こちらのメモは、いつものように眉唾モノということで、ご勘弁のほど。

今回の講演(法話)は、仏教初心者には嬉しい内容だったのではないでしょうか。配布テキストの「修業道」に般若心経からの引用を随所に散りばめて、五道の修道論から最後は中観思想の要諦部分に踏み込んでいただき、短時間ながらなかなか充実感がありました。
ツォンカパのテキストが事前に指定されていたのがよかったのではないかと思います。ダラムサラで行われているレベルのティーチングにやや近い感じだったかな、という気がします。これからも、日本でこれぐらいの密度をもった話が聞けるといいなぁ。

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ダライ・ラマ法王来日法話 
「さとりへ導く三つの心と発菩提心」
■2009年10月31日(土) 午後2時~
■於: 東京・両国国技館
■配布テキスト『修行道の三要素(ラムツォナムスム)』


【法話の概要】

(最初に、般若心経を全員で唱和)
本日はツォンカパのテキスト(上記)にもとづき、「出離」「菩提心」「正しい見解(=空)」の三点について話す。

■般若心経の一節 「三世諸仏依般若波羅蜜多故、得阿ノク多羅三ミャク三菩提」
=過去・現在・未来の三世の諸仏がいかに悟りに至ったかについて述べている。

■悟りの境地は、いかにして得られるか?
→ 一時的条件にあらず、持続的な努力が必要。

■心経最後の真言でも、そのように説いている。
「ギャーテイギャーテイ波羅ギャーテイ波羅ソウギャーテイ菩提娑婆カ」
=「〔資糧道を〕行け、〔加行道を〕行け、彼岸に行け、悟りを成就せよ」の意味。
すなわち、徐々に修業の道を歩むことが必要。
 例・花の種: 花は、すぐ咲くわけではない。
   種から徐々に育てていき、最後に花を咲かせる。

■五道の説明
資糧道 (初心者レベル)
 ↓
加行道 (究極〔勝義菩提心〕を目指し始める)
 ↓
見道  (空の理解)
 ↓
修道  
 ↓   (見道から無学道に至る間に菩薩の十地を経由)
無学道

■悟りへ至る五道十地の中でも重要なのは、直接体験を通じて空を理解する智慧をはぐくむこと=智慧の完成 「般若波羅蜜多」

空を直感的に理解する智慧をはぐくんでいく過程で、煩悩と所知障を滅却し、方便の支えにより一切智、すなわち仏陀の境地に至る。
方便に支えられた智慧を獲得するためには、菩提心が必要であり、出離の心(輪廻から離れたいと願う心)が必要。
→ 悟りへ至るために必要な三要素: 出離、菩提心、智慧

■(三要素について説明する前に、一般の仏教話)
・21世紀の現代、苦しみが偏在し、次々と起きるのはなぜか。
苦しみは人間が自ら作り出している場合が多い。自分で作ろうとしているわけではないのに。
→ 二つの原因(無知と煩悩)による。
現代は煩悩で心が乱され、他者に関心をもたず、我欲ばかりが発達している状態。

・日本は物質文明の発展がめざましく、教育も発展しているのに、なぜ苦しみが絶えないか?
→ 自分と他者を分ける考え方による我欲の拡大で、苦しみが増している。

・心を乱す煩悩は、心や家庭の平和を壊すという点で、社会のみならず個人にも問題を作り出している。心が乱されれば、体も影響を受ける。体の構成要素・五元素も損ねて、健康も害する。心の乱れが免疫機能に影響を与えるという、科学者の報告もある。

・宗教を受け入れる人も受け入れない人もいるが、いずれも心の平和を望んでいるのは同じ。
心の中に平和を築くことは大切。物質文明は体に快適をもたらすうえで役立っているが、心の平和は物資的な発展のみでは達成できないとわかってきた。
→ 心の平和を意図して築く努力の重要性。
外的条件に頼っていては、心の平和を得ることはできない。心の平和を高める因の条件を増やす努力を自ら行うこと。

・心の平和を損なう感情の原因の一例: 自分と他人を区別すること
他人を自分の外側の遠い存在として放っておき、自我意識のみを大切にすることにより、様々な紛争が生じている。
→ 自・他の境界を無くせば、好ましくない感情もなくなっていく。他者も自分と同じように好ましい存在と感じれば、マイナスの感情も発生しない。
→ そのために、菩提心をはぐくもう。
自分ばかりを主張するのが不幸の根源になることを、自覚せよ。
他者を自分と同じくらい愛しいと思えるように、努力せよ。
すべての他者を慈しむ心を育てよ(発菩提心)。
さすれば心の平和、社会の平和がもたらされる。

・世俗のレベルにおける、愛をはぐくむ重要性の認識について
(去年の講演と要点はほぼ同じなので略)


(続く)
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by epea | 2009-11-01 00:55 | 仏教関連