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2008/07/16 (水) 現状認識

無線システム、早朝なら一発で接続すると思ったが、そうでもない。初回に失敗する要因はなんだろう。PC上のGUI(シンプルで、TX・RXの表示がそのまま出る)を見ていると初回から認証プロセスまではいく様子。解析してみたいところだけれど、イーサリアルをDLするのにも時間がかかるだろうなぁ。日本にいる間にこのノートにも入れておけばよかった。

朝 5時に起きても、ベランダの桶からバケツいっぱいに水を汲んでよろよろと一階のトイレまで運んだり、途中でこぼした水を拭いたり、せいいっぱい背伸びして天井までのガラス戸の鍵をようやく開けて庭に出て、お茶っぱの生ゴミを捨てたり、などとしているうちに、あっという間に時間がたっていく。ちょっとした素朴な暮らしをとても楽しんでいるけれど、この国に生まれる人々の多くは子供の時から、たとえば早朝に水汲みをするため自分の体ほどもありそうな重いバケツを長い距離運ぶ毎日を送っているのだろうな、と思う。何のために生きていくのか? 一生を重労働で過ごすため? そんな考えには耐えられない、というより、そのように解釈するのは「合理的でない」から(生物学者に笑われそうだけれど、何の意味もないのであればそもそもなぜ生まれてくる?)、宗教が浸透するのだろう。

11:00~ 仏教哲学講座。最後にイタリア系らしい(?)白人女性が怒り始めて、クラスの雰囲気が少し騒然となる。彼女いわく「なぜこういうテキストを読まなければならないのか?」「なぜ我々は黙って聞いているのか?年配の人(畏れ多くも先生を指しているらしい・・)に敬意を示すため?」「こんなことをしていて何になるのか? なぜナーガルジュナは自分で出てきて説明しないのか?」

……無茶苦茶だ。何人かの白人女性達はかなり 気まずそうに "It's a shame!" と囁いたりしていたが、状況自体はなかなか興味深かった。先生はもちろん慌てることもなく、「過去の偉人の主張が真に正しいかどうか、それは残されたテキストを自らが吟味して論理的に判断しなければならない。もちろんそれは本人による直接の言説とは違っているかもしれないが、残された言葉を論理的に検証することで、ある程度そのエッセンスに迫ることが可能です」と、最後は微笑みながら答えていた。ごくまっとうな説明だが、質問した彼女は怒りが収まらない様子で「論理がすべてじゃないでしょ?!」等と叫び続ける。おそらく、こうした講義形式の授業はこの人がこれまで西欧の教育機関で体験してきたスタイルと違っていて、それが本人には受け入れられないものだったのでは、という印象を受けた。本物の僧侶の学習課程には、ハードなディベートだってあるのに。最低限、龍樹は大昔(2-3世紀)に生きていた人だってことぐらい把握してから質問すべきだと思うけれど、、、少なくともチベット仏教に興味を持っていながら、講義を聴いてこんな受け止め方をする人もいるのか、と、なかなか新鮮だった。

図書館入り口で本を購入して帰る。

昨日のうちに記事を一本、余計に送ってあるので、午後は比較的のんびりと過ごした。チベット語関連の資料を見ているうちに、暗澹たる気分になってくる。難解すぎる。自分の年齢、体力、残された時間でできること。

夕方、重い腰を上げて街に出る。昨日インド人のモモ屋に忘れた傘がちゃんととってあった! ありがたい。しかも畳んであって、私の顔を見た瞬間に「傘だよね?」と返してくれた。感動。その後、スーパーで砂糖、野菜、豆などを買って帰った。

雨は何度も、激しく降ったりやんだり。


朝食:チャイ
昼食:クリーム・オブ・マッシュルーム、クラッカー
夜食:赤いんげんの煮豆、野菜スープ
by epea | 2008-07-16 08:10 | インド関連
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