『ランゼン: 独立チベットの論拠』 - 2

■ Origins of Tibetan National Identity
(先が長いので、この一節は省略します。あしからずご了承ください)


■ Legitimacy of Tibetan Independence
チベット独立の正当性

独立国家としての地位を求める私達の主張がいかに長年にわたる理にかなった要求であるか、私達チベット人自身が理解することが、絶対に必要である。この世界における多くの国家は一面において、ほとんどが歴史の産物だ。アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアは、本当の意味で、自国の起源をチベットのように国土に依っているわけではない。クウェート、ヨルダン、シンガポール、そしていくつかのアフリカの国々は、西洋の植民地政策の産物、または植民地支配の残骸から形成されたともいえる。最近では、かつてのソビエト社会主義連邦の崩壊から、ベラルーシ、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンといった国々が誕生した。これらは、かつては国家として存在したことのなかった国々である。

世界からの国際的な注目度を考慮すると、パレスチナという国家もまた存在したことがなかった、と指摘する向きもあるかもしれない。歴史的に存在していたのはオスマン帝国における一地方、州(vilayet)であり、それは後にイギリス保護領となった。イラクもまた、第一次大戦後にイギリスが、敗北したオスマン帝国の3つの州、モスル、バグダッド、バスラをとりまとめて作り上げた国家である。今日のかの国における解決しがたい暴力的な分裂、民族および部族間の派閥の存在は、この連邦の根拠の乏しさをあらわにしている。

本稿は、チベットが上記に挙げた国々や領土よりも国家として存在する権利がある、と論じるためのものではなく(結局のところ、自分自身の人生・生活スタイルを決める権利は万人が生まれ持つ基本的な権利である)、国家としてのチベットの立場が世界の他の国々(以上ではないとしても、他国)と同様に、正当で筋の通ったものである、という事実を強調するために書かれている。私達が国際連盟や国際連合に加入してこなかったこと、あるいは、いくつかの大国が中国との交易関係を危険にさらしたないたくないばかりにチベットを国家として認めてこなかったこと――こうした事柄は、国家としてのチベットの正当性を少しも損なうものではない。

中国との貿易は、過去二世紀の間イギリスとアメリカが独立国家としてのチベットを支援するどころか認めることさえ拒否してきた、事実上最大の理由である。1930年代、まさに「チベットにおけるイギリス政策の立役者」であり、チベットに関する権威であったサー・チャールズ・ベルは、次のように認めている。

「イギリスとアメリカ、そしておそらくほとんどのヨーロッパ各国は、チベットを中国支配下の存在とみなしている……そのうえ、中国との貿易の莫大な潜在性については、常に論じられてきた。記憶している限りでも、50年前にもそれについて語られていたが、その後の50年間でそうした莫大な潜在性は現実にはならなかった。潜在的なものは、潜在的でしかない。しかし、諸外国は中国の交易から十分に利益を得たいと望み、その目的のために中国に気に入られようと試みてきた。だが、中国における商業利権を増やしたいがためにチベットを売らなければならないというのは、嘆かわしいことである」

チベットがその歴史を通じて、外国勢に征服されていた時期があるという事実、また、幾人かのチベット人統治者は政治上の支配力を獲得するために外国の軍事力に頼っていたという事実も、自由な国家としてのチベットの正当性に、何の違いももたらさない。18世紀と19世紀、チベットの政治力・軍事力が著しく衰え、満州(*1)の支配が国中に及んだ時でさえ、チベット文明の独自性やその民族的・国家的アイデンティティは、(チベット長官としては名門の出身の満州人とモンゴル人しか選出せず、決して中国人を任命しなかった)満州自身によってのみならず、アジア全域の人々によって広く認められていた。実際に、満州のチベットとの関係は(満州の「外務省」、外地統治を担当していた中央官庁の二つの「局」のうちの一つだった)「理藩院」(Li Fan Yuan)によって司られていた。この局は、満州宮廷とモンゴル大公、チベット、東トルキスタン(新彊)、ロシアとの関係を担当していた。

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訳注 *1 「満州」: Manchu
中国清朝を指す。
ジャムヤン氏の英文でQin DynastyではなくManchuの語が使われているため、その表記に合わせました。
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チベット、とりわけ首都ラサは、ロシアのブリヤート人やカルムィク人、数百万ものモンゴル人によって、文化と信仰の中心地と見なされていた。1878年、ロシアの探検家プルジェワルスキーは地理学協会および陸軍省に、次のように書かれた覚書を送っている。

「……彼はラサを、アジアにおけるローマとして描いた。その精神的な影響力は、セイロンから日本にいたるまで、250万人に及んでいる。ロシア外交にとって最重要の対象である」

世界において、一時でも他国の支配下に入ったことのない国など、おそらく存在しない。もし継続した揺ぎない独立の歴史を証明しなければ国家として認められないとしたら、国連加盟国の中で独立国家を名乗れる国はほとんどなく、あるとしてもごく僅かであろう。1960年、チベットに関する国連での議論においてアイルランド使節団が指名された時、もし国連総会に出席していた各国が過去にどの国からも支配されたことがないことを証明しなければならなかったとしたら、ほとんどの国はその国連総会に参加しえなかっただろう。

イギリスはほぼ四百年もの間、ローマ帝国の一部だった。ロシアは二世紀以上にわたって蒙古の支配下にあり、また言うまでもなく、アメリカはイギリスの植民地として始まった。中国自身も蒙古と満州の両方に支配されていた時代があり、チベットとの戦争においては繰り返し敗退を喫している。763年には一時、チベットが長安を占領した時期もあった。しかも、忘れてはならないのは、20世紀の前半には中国の領土の相当部分が日本の統治下に入っていた時期もあったことである。
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by epea | 2009-07-15 23:37 | Jamyang Norbu
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