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2009年 07月 21日 ( 1 )

『ランゼン: 独立チベットの論拠』 - 5

中国支配下においては、いかなる自治状態への希望を抱くことも現実的とはいえない。なぜなら、(そうした状態を望むことは)中国の体制がその中に異なる政治・社会システムを内包できるほど柔軟で寛大であることを前提とするからだ。たとえば、インドのような国家の中にはそうした自治地域を思い描くこともできる。インドは正真正銘の多文化・多民族から成り立っており、政府の機能をはじめ、少数派や異議を唱えるグループに対する主流派の抑圧などを原則としてチェックするような憲法や自由な報道機関、自由な選挙、独立した司法制度といった、民主的な制度を備えているからだ。しかし、これらはまさにその性質上、中国指導部には実現できない事柄である。

中国指導部もまた、その国民と同様に、長く抑圧的な文化および政治遺産――一流の中国研究家であるオーストラリア人のW. J. F. ジェナーは、これを「歴史の暴君」と名付けている――の犠牲者である。それは、中国の社会や政治における前向きで抜本的な変化の実現を阻んできた。ジェナーは言う。「……中国という国家自体が監獄に囚われているという荒涼とした可能性――そこから明らかな逃げ道はなく、数千年にわたって絶え間なく強化されてきた歴史の監獄――文学的な創造物としても、そして過去の堆積した結果としても。」

香港に許されていた「一国二制度」は例外であり、北京にとって有利だったために認められたものだった。もし中国がこの制度について譲歩していなければ、当時、香港経済に寄せられていた国際的な信頼をおそらく損なっていただろうし、中国にとって大きな財政上の問題を引き起こしていただろう。共産主義へのバトンタッチに続く数年の間に、ジャーナリスト、ラジオ・パーソナリティ、政治風刺家、法律家、その他の香港における民主化を求める声は、徐々に「窒息するような」政治的風潮の中で組織的な嫌がらせや暴力的な脅し、殺害の恫喝などを受けて、その多くは香港を離れた。植民支配後の自由な中国を保証するはずだった基本法は事実上骨抜きにされ、香港島の議会および行政府は北京の支配下に買収された。

香港市民とは異なり、チベットの人々は自分達が文化的にも民族的にも言語においても、そして気質においてすら、あらゆる面で中国人とは異なっていることを激しく実感しており、骨身に沁みて知っている。チベットにおけるチベット人の暮らしが経済的に改善してきた(本質的な意味で改善しているわけではないのだが)としても、上記の点に関するチベット人の感情を著しく変えるものではなかった。ラサにおける一連のデモが、チベットの経済状況が過去と比べて著しく向上したとされる時期に起きていることを忘れてはならない。この件に関するチベット人の考え方は、1980年代後半にチベット内で出回った反体制文書からの次の引用において、最もよく表現されている。

「もし(中国の下で)チベットが成り立つなら、チベット人の生活は向上し、その暮らしぶりは幸福の度が過ぎて、三十三天の諸仏を困惑させることになるかもしれない。もし本当に、そのようなものが真に与えられるとしても、それでも我々はそれを欲しいとは思わないだろう。我々は、そんなものは要らない」
by epea | 2009-07-21 20:01 | Jamyang Norbu