2009年 07月 29日 ( 1 )

『ランゼン: 独立チベットの論拠』 - 7

■ International Dimension of Rangzen
ランゼンの国際的な局面

1990年代以降、チベット指導部と一部の西欧の支援者達は、環境や世界平和、スピリチュアリティといった「地球規模の関心事」をチベット問題と融合させようと計画してきた。こうした風潮の後、一部のチベット人やその友人達の間には、「チベット人の独立を求める奮闘は、泥臭くて限定的なもの(地球規模の姿勢ではない)」といったような、高尚で高所から見下すような、それでいてきわめて幼い発想が生じてきた。言うまでもなくこうした見解は誤りであるのみならず、人々がある種の理念の必要性を、自分達の別のニーズ――社会的受容、ポリティカル・コレクトネス、専門家としての名声や出世、そして時に物質的利益など――と混同してしまいがちであるか、その明らかな実例となっている。

自由を求める真の闘いは、局所的に(その地域で)行われているものであり、大抵は、世間体や社会的地位や経歴を失うにとどまらず、人生さえも投げうつ覚悟を備えた人々による捨て身の行為である。自由を求める闘士達はその本質上、秩序を乱す存在なのだ。けれども、いかに社会に動揺をもたらし、いかなる経済的困窮や人間にとっての苦難をもたらしかねないとはいえ、マハトマ・ガンジー、マルティン・ルーサー・キングJr、ネルソン・マンデラ、アウンサン・スーチーといった人々による不撓不屈の(そしてとりわけ局所的な)闘いは、自由を愛する世界中の人々を鼓舞してやまない――たとえば、いわゆる「世界平和」を実現するための、外交官や職業活動家、国連事務総長による善意にもとづく努力などよりも、はるかに力強く。(しかもこうした人々の言う「世界平和」の実態は、より厳密にいえば「国際社会の現状維持」と表現する方が近い。)

専制に対する一つ一つの自由の勝利は、他の大義や理念(に従事する人々)にとって、計り知れない応援となる。バングラデシュが独立を果たした時、私達はどれほど心から興奮したか、チベット人ならその感動をよく覚えているはずだ。しかも、チベット人の空挺部隊が彼らの勝利に重要な貢献を果たしたと知って、私達はさらに勇気づけられ、誇らしく感じたものだ。インドが独立した後、アフリカやアジアの各国もまた続々とヨーロッパ植民地主義から独立を果たして自由になった。1990年代にはベルリンの壁が崩壊し、今度はソビエト連邦のくびきから逃れた一連の国々が自由を獲得した。もしチベットが独立すれば、東トルキスタンや内モンゴルといった近隣地域にとってのみならず、中国それ自体の人々にとっても、自由の新しい時代をもたらしうるかもしれないし、少なくともその先駆けとなる可能性は、大いにあるのだ。

私達はまた、次の点についても留意しておかなければならない。今日の世界における最も抑圧的で残忍な政治体制――金正日の北朝鮮、軍事政権のビルマ、ロバート・ムガベのジンバブエ、イスラム・カリモフのウズベキスタン、そして、ダルフールで大量殺戮を行っているスーダン政府――が基本的に存続し続け、繁栄すらしているのは、経済・外交・そして軍事面において中国の支援を受けているからである。
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by epea | 2009-07-29 23:00 | Jamyang Norbu