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独立国家チベットの地図を微笑んで指さす法王

ジャムヤン・ノルブ氏が2月27日に更新したミニコラムを抄訳します。

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『法王、独立国チベットの地図をご覧になるの図』
"DALAI LAMA DISCOVERS MAPS OF INDEPENDENT TIBET"
by Jamyang Norbu
February 27th, 2009

読者の皆さんと共有したいものがある。この写真と、法王のベニス訪問について、ヨーロッパ在住のチベット支援者マンフレッド・マネラ氏が書き送ってきてくれた手紙だ。
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(写真は、ジャムヤン氏のブログ記事より転載)

「法王によるベニス訪問は、想像を超えた大きな成功を収めました。法王はベニス名誉市民の地位を授与されました。地元の政治家はすべて、偉大なるカッチャーリ氏から、対極の立場にある政治家にいたるまで、みなチベットの独立やチベット人による自決権についてしか話題にしませんでした。中道や自治については、遠まわしに述べられることすらありませんでした。そして法王は、マルチャナ図書館を訪問されて中世の古文書や非常に古い地図上でチベットが独立国として扱われているのをご覧になった時、喜んでおられるご様子でした」

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この記事の読者コメント欄では、チベット王国が記されている他の地図へのリンクを紹介している人もいます。

ボブ・パレ氏は、1490年代に作られたマルチン=ベハイム地球儀 に描かれている地図のコピーを、法王に差し上げたことがあるそうです。その地図には "Thebet, ein Konigr." つまり「王国・チベット」と記されているとか。

「地図の歴史の部屋」:ニュルンベルグ国民博物館に所蔵されているマルチン=ベハイムの地球儀は世界最古の地球儀だそうです。

ただし、今回のジャムヤン氏の記事には早々と、鋭いツッコミも入っています。

地図なんて誰でも作れるし、中国側も好きなように作ってるわけだし(韓国・モンゴル・シベリア・日本まで中国領に含まれている地図もあるらしい・笑)、地図にそう記されているからといってチベットが独立していた証拠にはならないでしょう、ってことです。

「地図の真価は、地名や国境を定めるところにあるのでなく、それを発行する権力者が自らの領土を他者に主張するために制作される点にある。
地図の第一義は真実の表現ではなく、覇権主義の発露にあるのだから」

……ふむふむ、なるほど。いや~、ジャムヤンさんの読者はなかなか手ごわい!

(りんかさん、特別会議記事のコメント・お勧めナンバーについて、お返事遅れていてごめんなさい。)
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by epea | 2009-03-03 22:56 | Jamyang Norbu

ロサルの贈り物 (2)

ジャムヤン・ノルブ氏のエッセイ、"A LOSAR GIFT FOR RANGZEN ACTIVISTS"の最後の部分です。
先日訳した最初の部分の後に、昔の地図や切手やパスポートなどなどの図録が続き、その部分は画像がおのずと語っているわけですが、最後にまた少し文章が出てきますので、それも追加しておきます。
(前半部分とは、後日いっしょにまとめます。)

欧米人のみならず中国人の研究者の中にも、偏りのない学術的な視点から、チベットが中国とは質的に異なる独立国であったと著作において明言していた人がいらっしゃるのですね。

出展の注をずらずらと入れてしまって、うっとうしかったらごめんなさい。けれども、ジャムヤンさんはこの短いエッセイを一つ書くにも、ことランゼンに関しては、これだけ過去の文献を調べつくして裏づけをとったうえで意見を発表なさっていることが伝わってくるように思います。氏のこうした姿勢を尊重したいと考え、元のサイトから出展の注も引き写しさせていただきました(訳した文中に対応する部分のみ)。ご了承ください。


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独立国家チベットの証人

チベットが独立した平和国家であったという事実は、偏見のない西欧人多数(注47)によって証言されている。彼らは侵攻を受ける前のチベットを訪れていたのみならず、彼らの回想録のタイトルが示すとおり、相当の期間チベットに住んでいた――デビッド・マクドナルドによる『チベットの20年』(注48)、ピーター・アウフシュニーターによる『チベットの8年』(注49)、ハインリッヒ・ハラーによる『チベットの7年』(注50)。第一級のチベット学者ヒュー・リチャードソンは全部で8年間チベットで生活し(注51)、この国が秩序をもって平和に成り立っており、政治的独立や文化的な蓄積から成り立つ長い歴史を持っていることを明らかにした。
もう一人偉大な学者であり外交官だったチャールズ・ベルは「イギリスにおけるチベット政策の立案者」といわれているが、イギリスとアメリカがチベットの独立を認めることを拒否していた(しかし時として自国に有利である場合は事実上黙認していた)のは、概して「中国における自国の利益を増大させたい」という希望によるものだったと確信している(注52)。

中国による発行物においてチベットを悪者扱いしているプロパガンダの伝道者の中には、かつてのチベットの暮らしを見たことのある者は一人もいないことが、ほぼ確実になっている。実際に、北京に利用されているチベット・プロパガンダの西欧人達(マイケル・パレンティ、トム・グルンフェルド、バリー・ソートマンほか・注53)は誰一人として、1980年以前のチベットを訪れていない。彼らはイギリスのジャーナリストや役人達(L.A.ワデル、パーシバル・ランドン、エドムンド・キャンドラー、キャプテンW.F.T.オコナー)の言葉を引用して、かつてのチベット社会や政府についてしばしば歪んだ情報を伝えている。だが、上記のイギリス人達は、1904年のイギリスによるチベット侵攻に随行して、チベット社会や制度を悪者扱いすることで、その暴力的で帝国主義的な侵入を正当化しようとした人々だった。

学術的な実績があり、多少なりともかつてのチベットで過ごした経験のある唯一の中国高官はシェン・ツンリン博士であり、ラサにおける中華人民共和国の代表だった(1944-1949)。その著作『チベットとチベット人』において、シェン博士はチベットについて明らかに中国とは異なる国であるとし、「……1911年から完全に独立してきた」国家として記述している。彼は誠実に、階級制に基づく保守的な社会を「数世紀も前の化石のようだ」と評しているが、人々は秩序正しく穏やかで親切である――ただし「悪評高い係争者」であり、「これほど雄弁な申立人達は、世界でもめったに見たらないだろう」と付け加えている。シェンはまた、次のようにも述べている。「請願は論争者の属するどの役所に対して提出されてもよく、またはダライ・ラマやその摂政に提出されても許される」(注54)


出展:

(注47) Statement by Westerners who visited Tibet before 1949 (London13 September 1994). Mr Robert Ford, Mrs Ronguy Collectt (daughter of Sir Charles Bell), Dr Bruno Beger, Mr Henreich Harrer, Mrs Joan Mary Jehu , Mr Archibald Jack, Prof. Fosco Maraini and Mr Kazi Sonam Togpyal of Sikkim. http://www.tibet.com/Status/statement.html
(注48)David, MacDonald. Twenty Years in Tibet. New Delhi: Vintage Books, 1991. (first published 1932). pg 287.
(注49) Brauen, Martin. Peter Aufschnaiter’s Eight Years in Tibet. Bangkok: Orchid Press, 2002.
(注50) Harrer, Heinrich. Seven Years in Tibet. London: Rupert Hart Davis, 1953.
(注51) Richardson, H.E. High Peaks Pure Earth: Collected Writings on Tibetan History & Culture. London: Serindia Publications, 1998.
Richardson, H.E. Tibet and Its History. London: Oxford University Press, 1962.
Richardson, H.E. and David Snellgrove. A Cultural History of Tibet. London: George Wiedenfeld & Nicholson,1968.
(注52) Bell, Charles. Portrait of a Dalai Lama: The Life and Times of the Great Thirteenth. Boston: Wisdom Publications, 1987. pg 396.
(注53) Norbu, Jamyang. “Running-Dog Propagandists” Phayul.com, [Monday, July 14, 2008 09:37],
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=21945&article=Running-Dog+Propagandists+-+Jamyang+Norbu&t=1&c=4
(注54) Shen, Tsung-lien and Shen-chi Liu. Tibet and the Tibetans. California: Stanford University Press, 1953. pg 112.
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by epea | 2009-03-02 21:09 | Jamyang Norbu

ジャムヤンさんより、ロサルの贈り物♪

ジャムヤン・ノルブ氏より、ロサル(新年)の贈り物です ⇒ Look!!!

下の方にスクロールしていってください。チベットが独立国であった(……いえ、「である」と現在形にしないと怒られますね (^^;) 証拠を示す、さまざまな品々が掲載されています。
「今年は追悼のロサルだけれど、お部屋でチャン(チベットのどぶろく)でも片手に、これを見ながら楽しんでね」と、チベット人読者の皆さんに呼びかけています。

かつてのパスポートや外交文書、切手や郵便物、お札にコイン、1917年のナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されていた国旗、1934年ランド・マクナリーの世界地図(独立国チベットの位置をばっちりピンクで表示。ボストンのどこかの建物で、壁一面に巨大なステンドグラスの地図が嵌め込まれているらしい)などなど、盛りだくさん。カラフルな写真がたくさんで、眺めていて楽しくなりますヨ。こういった品々は、ダラムサラにあるチベット歴史博物館にも展示されていました。

今回はジャムヤン氏のコラムにしてはたいへん珍しく(笑)、文字を読まなくても楽しめる構成になっていますが、最初の部分だけ、ざっと要約させてください。

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"A LOSAR GIFT FOR RANGZEN ACTIVISTS" by Jamyang Norbu

(冒頭部分の要約)
今年のロサルは、去年のうちに亡くなったり拷問されたり、その他さまざまな苦難に遭った人々に捧げる鎮魂のロサル。
と同時に、「チベット人が文化宗教の自由を享受している」と意地でも見せかけたい中国政府に対する、抵抗の意思表示でもある。
亡命社会ではロサルを祝う・祝わないをめぐる議論が起きて、どちらの主張にも言い分あるけど、革命のロジックはまた別だからね。我々は闘いに呼ばれたら行きますよ。

ロサルの文化に関するエッセイはこれまで散々書いてきたから、今年はポリティカルな贈り物はどうかな? 次のものは、3月10日以降の集会で配るつもりで仲間と作った資料です。
白黒 ・ カラー  誰でも印刷して、ガンガン配ってくれたら嬉しい。表紙には、各自団体名を入れられるようにスペースを空けてある。

(訳注・↑ こちらは、今回のエッセイ"A Losar Gift"の内容をコンパクトにレイアウトして作られています。写真や図が満載で、イベントなどのおしゃれな配布物によさそう)

サイトも構築中。 http://www.rangzen.net
3月10日には間に合うように中身をアップしていく予定だから、刮目して待っててくれ!

これまで国連・国際社会に見せてきた、中国侵攻以前にチベットが独立国だった事実を示す証拠については、みんな大体わかってると思う・・・Shakabpaパスポートとか、国旗とか。だからここでは今まであまり知られていなかったような、ディテールにこだわってみた。みんな、これを見て元気だしてくれよな!

(↑ 例によって超・超訳な要約、すんません。でもジャムヤンさん、気持ち的にはきっとこんな感じだと思う……ので、笑って許してください。)

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INDEPENDENT TIBET – SOME FACTS
Compiled by Jamyang Norbu for the Rangzen Alliance

完全に国家として機能していた状態

1950年に中国共産党がチベットに侵入する以前、チベットは国家として完全に機能していた独立国だった。近隣諸国のいずれにも脅威を与えることなく、外国からの支援も受けずに年々、国民を養っていた。いずれの国や国際機関からの借金も負わず、法と秩序を保っていた。
1913年には死刑を廃止し(複数の外国人旅行者による証言あり)、世界に先駆けて死刑廃止国家となった国々の一つとなっている。
少数民族を迫害していた記録もなく、
(天安門事件の起きている)中国その他の国のように、しばしば人口の一部を大量虐殺したといった記録もない。
インド、ネパール、ブータンとの境界線は無防備で国境警備員もいない状態だったが、経済的もしくは政治的な理由で難民として国を出ていくチベット人はほとんどいなかった。
中国共産党の侵入を受ける以前は、アメリカやヨーロッパへ移民していったチベット人は一人もいなかった。

異国の軍事侵攻:「平和的な解放」にあらず

1950年10月6日の明け方、中国紅軍(Red army)第18陸軍第52,53,54師団(およそ40,000以上の部隊/または兵士の人数?・数字の出展は下記の注3を参照) が、3500人の通常兵と2000人のカム地方民兵で防衛されていたチベット国境地帯を攻撃。中国人学者による最近の研究では、1950年1月22日に毛沢東はスターリンと会談し、チベット侵攻にあたってソ連空軍に物資を輸送するよう依頼している。スターリンは次のように答えた「チベットへの侵攻に備えているというのはいいことだ。チベット人は征服しなければならない」(注4)

チャムドの前線にいたイギリス人無線技師(チベット政府に雇われていた)の記録によると、ディチュ川の主要な船着場にいたチベット前線防衛軍は、ほとんど最後の一人にいたるまで戦った(注5)。 南では、マルカムに近い川の横断地点でチベット前衛部隊が勇敢に闘ったが全滅したと、その場にいたイギリス人伝道者が伝えている(注6)。 生き残った部隊は、闘いながら西へと秩序を保ちつつ退却した。逃亡したり投降した部隊はなかった。退却を始めて4日後に、一つの連隊が敵に圧倒されて壊滅した。最初の攻撃を受けてからたった二週間後に、チベット軍は降伏した。共産党員の伝記では次のように述べられている。「チャムド侵攻で大勢のチベット人が殺され、負傷した。」「チベット軍兵士は勇敢に戦ったが、圧倒的な人数と優れた訓練を受けていた中国軍に敵うすべもなかった(注7)」  中国のチベット侵攻について書いている唯一の西側軍事専門家によると、「……紅軍は少なくとも10,000人の死傷者を出している(注8)」

つまり、中国政府が主張しているような、平和的な解放ではなかったわけだ。1956年にはカムの人々による大蜂起運動(the Great Khampa Uprising)が始まって国中に広がり、1959年3月の蜂起(the March Uprising of 1959)で最高潮に達した。ゲリラ戦は1974年になってようやく終焉した。「控えめに見積もっても、50万人以上(注9) のチベット人達が戦闘で亡くなっている。さらに大勢の人々が、その後に続いた政治運動や強制労働所への収容、大飢饉で亡くなった。2008年にチベット全域で起きている革命的な蜂起の数々や、中国による残虐な弾圧は、この闘いが今日まで続いていることを明らかに物語っている。

(後略)

出展:
(注3)Goldstein, Melvyn. A Tibetan Revolutionary: The Policital Life and Times of Bapa Phuntso Wangye. University of California Press, 2004, pg137
(注4)Chang, Jung & Jon Halliday. Mao: The Unknown Story. London: Jonathan Cape, 2005.
(注5)Ford, Robert. Captured in Tibet. London: George G. Harrap & Co., Ltd, 1957. pg158
(注6)Bull, Geoffrey T. When Iron Gates Yield. London: Hodder & Stoughton, 1955. pg130
(注7)Goldstein, Melvyn. A Tibetan Revolutionary: The Policital Life and Times of Bapa Phuntso Wangye. University of California Press, 2004, pg139
(注8)O'Ballance, Edgar. The Red Army of China. London: Faber & Faber, 1962. pg189-190.
(注9)Norbu, Jamyang. "The Forgotten Anniversary - Remembering the Great Khampa Uprising of 1956". Thursday, December 07, 2006, Phayul. http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=14993&t=1&c=4
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by epea | 2009-02-28 00:19 | Jamyang Norbu

『さして特別でもない会議』 (4)

(続き)

前の部分で述べたとおり、チベット政府は中国との交渉を中断するべきだ。私は自分の入っていた委員会で、次の数か月の間に導入されるべき論理的な次の段階、フォローアップするべき行動があるとして、チベット議会独立検討協議会(Rangzen Review Commission of the Tibetan Parliament)の設立を提案した。年長の国会議員からメンバーを選抜して協議会を構成し(閣僚メンバーを含めてもよい)、独立支持派系組織の指導者やスポークスパーソン、活動家達から証言や供述のヒアリングを行うのだ。協議会は彼らに、チベットの独立が可能だと考える理由や、そのための計画や戦略などについて質問する。協議会はまた学者、政治学者、法律家、歴史家、作家達から、専門家としての意見を求めることもできる。

私は次の点を強調した。
「このような協議会の設立は、チベット政府に独立の方針を採用するべく責任を負わせたり約束させるようなものではない。だが、チベット亡命政府はただ単に中国政府との交渉を望んでいるだけでなく、別の代替案も保持しているのだ、ということを、明らかに示すことができる。
さらに、こうした協議会の設立は、11月10日の中国政府によるきわめて侮辱的な記者会見に対する、尊厳をもった適切な返答になるだろう。
なにより最も肝心なのは、こうしたすべての段階が、チベット人の闘いにおける将来の方向性に関する真の国家レベルの議論へとつながるであろうということだ。」

方針の見直しについては、別の委員会でも同様の提案が行われていたようだった。ある委員会では、中道路線方針自体が見直しされるべきだという提案もなされた。こうした案は、独立支持派(ランゼン)活動家達から提出されていたに違いないが、交渉の完全な失敗に加えてチベットの難局に対する亡命政府のまったくの無能さに危機感を募らせた、退職官僚達からも提案されていたようだった。

特別会議の最終日には、すべての参加者がTCVの講堂に集合し、委員会ごとに報告書が読み上げられた。報告書には、チベット人居住区・センターで事前に行われた市民集会の議事録や決議文が含められたため、各委員会でどのような討議が行われたにせよ、大部分においてその内容を圧倒していた。独立支持派(ランゼン)唱道者によって提起された代替方針案や戦略についてはほとんど言及されることはなかった。特別会議の最終セッションでは、ほぼ満場一致に近い中道路線方針への支持と、ダライ・ラマ法王によるいかなる決定に対しても無条件に受容しようという、明らかに否定のしようがない雰囲気が生み出されていた。

サムドゥン・リンポチェ首相の結びのスピーチでは、90%以上のチベット人が明白にダライ・ラマ法王の中道路線アプローチを支持したとの主張のもと、中道路線方針の勝利が宣言された。私は翌週にニューデリーで開かれたチベット支援グループ国際会議には出席しなかったが、そちらでもサムドゥン・リンポチェ氏が同じような数字を引いて勝利宣言をおこなったと聞いている。

この最後の不愉快な問いに、かまける必要はないと思う。すべては最初からお膳立てされていたのか? 特別会議は、昨年3月にランゼン(独立)を求める蜂起の激しい嵐をチベット全域に吹き荒れさせ、後の11月10日には北京によって屈辱的なまでに拒絶されたその方針を、一般大衆に支持させるために、亡命政府によって仕組まれたものだったのか? あるいはもうひとつの可能性もある(私も一部ではまだ、こちらを信じたい)。ダライ・ラマ法王がご自身の中道路線方針の欠点を認識するにいたり、誠実に、ただ代替のアイディアや戦略を聞きたいという純粋な希望をもって、特別会議を要請した。それが、従者や役人達などの中で現状を維持することで既得権益を保ちたい者達によって、「チベット人一般は熱狂的にほとんど全員が法王の中道路線を支持しており、法王への信用は決して揺らがず、法王のいかなる決定に対しても疑問を持たない」といった空気が支配するようにと、この会議は不正に操られたのかもしれない。

だがそれも、次のような疑問を投げかける。なぜ法王は、特別会議に出席した大部分の人々が、常に法王ご自身の考えや思いをオウム返しに繰り返すばかりでどんな状況にあっても絶対にご自身とは対立しないような人々ばかりだったということに、気付かなかったのだろうか。なぜ法王は、本当に専門家や知識人や独立した意見をもつ人々を招集して、現在の危機に関する彼らの意見を単刀直入に尋ねなかったのか(委員会や首相による介入なしに)。法王ご自身は、物理学者や認知科学者の国際的な会議に参加したり、議長を務められたこともあり、おそらく、いかなる真理の追究においても、純然たる専門性と独立した恐れを知らない思考の価値が、信仰と専心(没頭)よりも好ましいことを、よくご存じでおられるはずなのだ。

どうやら特別会議は、それが答えを出すと想定されていたよりも多くの問いを、提示したと言ってもよさそうだ。

(終わり)
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・・・長かったですね(汗) 
お付き合いいただき、ありがとうございました。

特別会議について、これほど率直な感想は他で見かけない気がしますが、いかがでしょう。
元記事の下に寄せられている読者コメントの数々も、たいへん興味深いです。

チベット仏教の高僧や法王の説いておられる高邁な理念を尊く感じるあまりに、私達はついチベットの人々に過剰に期待してしまう傾向もあるように思います。ジャムヤンさんは、同じ生身の人間であるチベットの人々が外界からの一種過剰なステレオタイプを投影されて息苦しいであろうところを、いつも鋭い舌鋒で突破なさっているので、人々の人気を集めていらっしゃるのではないでしょうか。
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by epea | 2009-02-21 19:03 | Jamyang Norbu

『さして特別でもない会議』 (3)

(続き)

もちろん、中道路線支持派の全員が、かくも公正さに欠けた遣り口を使っているわけではない。私は、ダライ・ラマ法王の中道路線の熱心な支持者であり、この問題について一般人に教育しようと居住区やコミュニティを旅して回っているという、セラ僧院の若い僧侶に会った。彼と私は、VOA特派員が組織したパネル・ディスカッションに参加した。彼は非常に友好的な態度で、彼自身の認識している中道路線における哲学的な長所について、私を説き伏せようとした。ディスカッションの司会者が彼、ナムギャル・シャスティに、「中道路線推進派が行っていると伝えられている脅しの作戦を彼もまた使ったことがあるか」と尋ねた時、彼は断固として否定した。私は、この僧侶は知的には素朴ではあるが、誠実で善意の人であると感じた。

にもかかわらず、中道路線を主張している政治組織や役人達が、教育を受ける機会のなかったチベット人公衆の無知や恐怖感を利用するような議論や方法を使っていることについては、疑いの余地がない。これは、私自身が受け取っている報告のみならず、特別会議で中道路線支持派の多くが使っていたレトリックからもきわめて明らかになっていた。この大々的なプロパガンダ・キャンペーンはよく組織立ったものであり、疑いなく潤沢な資金に恵まれていたと思われるが、チベット政府かサムドゥン・リンポチェ首相がある程度関わっていたかどうかについては不明である。委員会でのいくつかのスピーチからは、このキャンペーン中にランゼン(独立)活動家を悪者扱いする活動も数多く行われていたことが明らかになってきた。

私の委員会にいたウ・ツァン協会の会長は、中国との交渉の失敗はチベット青年会議(TYC)などの組織のせいであるとして、ひとしきりスピーチを行った。彼は、こうした活動家の組織は、北京オリンピックや聖火リレーに対する抗議活動を通じて、故意に中国政府や中国の人々を挑発した、と主張した。彼はさすがに、チベット域内で立ち上がった抗議者達を非難する寸前で、踏みとどまった。彼は、法王の悲嘆や失意はチベット青年会議の活動によってもたらされた、とも付け加えた。また、2008年のチベットへの平和的な帰還マーチ(Peace March to Tibet)にかかわった複数の組織は、明らかに法王に対する不服従を示したのであり、法王に苦悩をもたらした、という批判も展開した。

これは甚大な脅しの戦術だ――もし私達がダライ・ラマ法王にこれ以上の苦悩をもたらすようなことがあれば、法王はその地位から退いて指導者としての役割を放棄するだろう、すなわち事実上私たちすべてを見棄てるだろう、という主張である。「この恐ろしい災難を防ぐには、法王に絶対的で批判の皆無な忠誠を表明し、私達が中道政策を含む法王のすべての方針を徹底的に支持することを、法王にお誓いするのだ」……こうした発言は感情的でスピリチュアルで、疑いなく脅迫ですらあったが、効果てきめんであった。

私は読者の皆さんに、特別会議では意見の相違や独特の考えがまったく示されなかった、という印象を与えたくはない。少数派ではあったものの、ランゼン主張派は沈黙せずに様々なアイディアを提案した。そのうちのいくつかはきわめて急進的なものだった。チャクラタ出身のとある退役した空挺部隊員は私達の委員会でリーダーの役割を務めていたが、チベット域内で中国軍支配に対抗するためにゲリラ活動が遂行できることがチベット人には必要であると、熱心にスピーチした。その活動のために自分自身も志願する用意がある、とも明言していた。

中道路線派は、ここぞとばかりに彼に襲いかかり、ダライ・ラマ法王とその非暴力主義に対する反抗者の代表として、非難の集中砲火を浴びせかけた。しかも私には、その非難の仕方があざけっているかのようにも思われた――まるで、かつて国のために闘ったチベット人達が、不実で愚かであると見せかけるかのような非難のやり方だった。

腹立たしく感じたので、私はかなり詳細な反論をおこない、次のような点を指摘した。ダライ・ラマ法王は闘う人々によって中国人から救助されたのであり、法王は祖国のためにチベット人達が闘うことを認めているのみならず、彼らに特別なメッセージを送ってさえいる。そのメッセージは数千枚も印刷されて、中国人に対して人々が蜂起してきたソク、ナクツァン、ペンバの空にばらまかれたのだ。

私はまた、次の事実についても皆に思い出してもらうよう促した。チベット亡命政府はチベット人が特殊国境部隊(Establishment 22; Special Frontier Force)に入隊するのを認めていたのみならず、(70~80年代にかけては)チベット難民学生に対して、12年生の後の一定期間、この軍隊に奉仕することを義務付けてさえいたのだ。ダライ・ラマ法王も、インド政府がこの部隊を1971年のバングラデシュとの戦争に派兵することに反対はせず、その戦いでは大勢のチベット人が戦闘中に亡くなっている。法王自身もこの部隊の基地であったチャクラタにおける勝利パレードに臨席し、行進する兵士達を閲兵した。要するに、もしすべてのチベット人がダライ・ラマ法王に忠誠を示すために非暴力主義に固執しなければならないとしたら、法王のボディガードでさえ、誰かが法王に攻撃を加えたとしても自分の武器を抜いてその不審者を撃つことすらできなくなってしまうのだ。

その退役軍人が独立支持派かどうかについては、私が言うまでもないと思う。自由を求める現在の私達の闘いにおけるゲリラ戦の有効性について、彼の意見に賛成するか否かはともかく、人は少なくとも、彼の意見は彼自身のものであると認めざるをえない。そしてこの点こそ、ランゼン活動家を中道路線推進派から根本的に隔てている特徴なのだ。中道路線推進派は、その信条のすべてをダライ・ラマ法王に対する疑いを差しはさむことのない信仰に根ざしている。中道路線信者があらゆる話し合いで提示するすべての議論は、常に変りなく、公式なものなのだ。

ランゼン活動家やその擁護者は、特別会議において明らかに少数派であったにもかかわらず、オリジナルで検討の価値あるアイディアや提案は、このグループの人々から提出されているように思われた。私自身もいくつか提案した。ここではすべてを詳しく述べる必要はないが、ひとつだけ時間をかけて考えたものを紹介しておく。

(続く)
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by epea | 2009-02-20 03:58 | Jamyang Norbu

『さして特別でもない会議』 (2)

(続き)

多くの市民集会は、9月に特別会議の開催が公表されて間もなく、ほとんどのチベット人居住区において開かれていた。私の元に寄せられた報告によると、市民集会は中道路線政策に対する一般人の熱心な支持や承認を生み出すような雰囲気のもとに開かれていたようだ。いくつかのケースでは、チベット人は中道路線に関する議論は望んでおらず、人々は、そうした事柄全てについて正しい決定を下すダライ・ラマ法王の全知全能の力に全幅の信頼をおいている、といった印象だった。もちろん、多くのチベット人にとってそうした信頼は完全に自然なものであり、そうした心情を吐露させるのに政治家による操作などは必要ないだろう。
その一方で、過去多年にわたる交渉の努力が継続的に失敗してきたこと、そして2008年3月以降にチベット全域で発生してきた蜂起のスケールによって、中道路線という方策に疑問を感じるチベット人もまた、増加しつつあるのだ。市民集会が前もって開かれていたのは、おそらくチベット社会におけるそうした考え方の機先を制する意図もあったように思われる。

「中道路線のためのチベット人民運動(Tibetan People's Movement for Middle Way)」は、中道路線についてチベットの人々を啓蒙するためのワークショップや会合を組織する、と宣言した。他の政治団体や地方組織、居住区指導部でさえも、調整のいきとどいたこの運動に参加しているようだった。私の受けた報告によれば、この運動全体はネガティブな雰囲気に満ちていて、中道路線政策を推進・正当化するための議論は、もっぱら脅しのような作戦から構成されていた。

この作戦のために利用された根本的な恐怖感は、独立と中道に関するあらゆる議論において耳にしてきたものだ: 「チベットの宗教や文化、アイデンティティでさえも、中国人口のチベットへの急速な流入によって完全に破壊され、拭いさられてしまうであろう。したがって、私達には独立を求める闘いを繰り広げている時間はなく、中国下における『実質的な自治』を受け入れるしかない」という考え方だ。ここでは、「たとえ私達が独立という目標をあきらめたところで、中国は決して人口流入や文化的虐殺を止めない・それどころか止めることをほのめかしすらしていない」という事実については、どういうわけか常に見過ごされてきた。

代わりにいつも持ち出されるのは、1979年に鄧小平氏がギャロ・トゥンドゥップ氏(訳注・79年会談時のチベット側特使。法王の兄)に約束したとされている「保証」――「チベット人が独立を放棄すれば、それ以外のすべての事柄が話し合いの対象となる」というものだ。鄧氏は「そのような約束をしなかったのかもしれない」、またはもっとありがちな可能性として、「ギャロ・トゥンドゥップ氏が解釈したほど希望的な言質が与えられたわけではなかったのかもしれない」といった事実については、けっして考慮されないのだ。鄧小平氏のそのような発言の可能性について、中国官僚がにべもなく(そして軽蔑を込めて)否定したあの11月10日の北京会見の余波においてさえ、鄧氏の「約束」に対する信心が欠けることはなく、いまや中道路線に身を捧げる人々にとって、それは犯さざるべき精神的な真実といった様相を帯びている。

この鄧小平氏の「約束」について私の委員会でも話題になった時、私は最後の香港総督を務めたクリス・パッテン氏が著書『東と西』の中で、「イギリス植民地だった香港の中国への返還に際して、北京との交渉にあたっていた西側の交渉担当者にとっては、中国指導部重鎮らの保証や約束を額面どおりに受け取らないことがきわめて重要だった」と強調していたことについて述べた。私はまた、中国との交渉に関してはその他の書籍や出版物においてもこの問題が指摘されていることも付け加えた。だが、私はまるでレンガの壁に向かって話しているかのようだった。

もう一つの脅し戦術は、「もし私達が中道路線を放棄して独立を掲げるようになったら、チベットの大義は世界各国の支持を失ってしまうだろう」というものだ。ダライ・ラマ法王が欧米諸国を旅して受ける暖かい歓迎や、中国に法王との対話を求める各国のリーダーや政治的指導者達の声明は、中道路線政策への支持の証であるとして、素朴なチベット人たちは単純に解釈してきた(時に、この解釈はチベット政府官僚によっても流布されている)。

だが言うまでもなく、中道路線政策において掲げられている詳細事項――古くからのチベットの三つの地域(青海省全体と甘粛省・四川省・雲南省の大部分を含む)の統一、中華人民共和国内における民主的な自治統一体の樹立――について、立ち上がって明らかに支持を表明した西欧諸国のリーダーなど、一人もいないのだ。
西欧諸国のリーダー達が時おり中国指導部に「促して」いるのは、「ダライ・ラマ法王の平和的なチベットへの帰還」に関する法王との話し合いについてであり、それ以外の目的に関する対話の可能性についてはいっさい言及していない。法王の金メダル授与式において、アメリカの指導者達がおこなったスピーチを聞けば(DVDで発売中)、彼らが中国指導部に対して、法王の「チベットへの帰還」を許可せよ、と主張している例をうんざりするほど聞くことができる。「中国への帰還」を許可せよ、としている発言すらある。

世界各国のリーダー達のほとんどは、中国がダライ・ラマ法王に対していかなる有意義な譲歩も行わないであろうことを十分に認識している。けれども、対話を支持するジェスチャーをしておけば、各国リーダーは自国民に対して格好がつくし、チベット問題に本気で取り組むことによって中国を怒らせ、貿易関係に悪影響を及ぼす、といった事態を回避することができる。

中道路線推進派によって使われている、きわめて不正直で潜在的に軋轢をもたらしかねないもうひとつの主張は、「チベット人が中道路線を放棄して独立を宣言したら、インド政府はすべての難民をチベットへ強制送還してしまうだろう」というものだ。

中道路線推進派のさらにもうひとつの主張についても、述べておくほうがいいだろう。これは老年世代のチベット人達、特にダラムサラにある老人ホームのような施設に入っている人々を大いに心配させている考え方だ。それは、「もしチベット人が政治的な独立を求めるようなことがあれば、西欧からのチベット難民への支援が打ち切られ、injiスポンサー達(jindak) も支援をやめてしまうだろう」というものである。私は、少なくともダラムサラで話した2、3人の老人達からこの意見を耳にした。もし読者の方々が似たような話を聞いていたら、詳細を教えていただきたい。

(続く)
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by epea | 2009-02-18 02:27 | Jamyang Norbu

ジャムヤン・ノルブ氏最新エッセイ 『さして特別でもない会議』 (1)

2月4日、ジャムヤン・ノルブ氏のエッセイが久しぶりに更新されました。題して、
『それほど特別じゃなかった会議(A Not So Special Meeting)』
チベット域内の危機的状況を鑑みて、昨年11月にダライ・ラマ法王による招集を受けてダラムサラで開催された「特別会議(Special Meeting)」を、なかば揶揄した題名であることは、一見して明らかです。

昨年の論説『中道路線の変貌』の中で、ジャムヤン氏はご自身の提言を後続の記事で説明していく、と書いていらしたので、読者としては更新を心待ちにしていたわけですが、昨年末から今冬の豪雪やご自身の体調不良など大変な状況が相次ぎ、ブログの更新どころではなかった模様です。

そして先ごろ更新されたエッセイは、題名が示す通り、ジャムヤン氏ならではの特別会議の報告書。これは……かなり生々しい「裏レポート」といった趣きです。
法王事務所から発表されている公式資料と併せて読めば、理解も深まることでしょう。

例によって長いのですが、たいへん興味深い主張と感じましたので、訳すことにしました。
限られた時間内での試訳ですので、読みにくい日本語ですがご容赦ください。
正確な内容については、原文にあたってご確認いただけますと幸いです。


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『それほど特別ではなかった会議』
"A Not So Special Meeting" by Jamyang Norbu
February 4th, 2009

「中道路線を堅持し、中国内での純然たる自治を求める方針に変化はない」という、サムドゥン・リンポチェ首相の発言をパユルで読んだ時から、11月の特別会議の成り行きは予期していた。

参加者およそ600名の大部分は、かつての、または現職の政府官僚、役人、閣僚メンバー、一部政治家達で占められていた。亡命社会の最大政治組織であるチベット青年会議(TYC)には、たった二席しか割当てられなかった。Students for a Free Tibet (SFT)にいたっては、出席を要請されもしなかった。
(訳注・SFT Japanのサイトはこちらです。)

政府関係者に対する手厚い補償があった(旅費や滞在費などが支給された)一方で、当初は参加の見込まれていた学者や専門家は招待を受けるどころか、会議開催に関する情報すら行き届いていなかったふしがある。
そのため、チベットの歴史・文化・宗教などの分野で世界的に活躍している研究者や専門家、高僧達のほとんどが、この特別会議には出席していなかった。
(参加していなかった著名人の例として、ナムカイ・ノルブ、タルタン・トゥルク、ケツン・サンポ、ディクン・リンポチェ、ツェリン・シャキャ、サムテン・カルメイ、タシ・ツェリン、など)

(訳注・以上は最初の7パラグラフからの抜粋要約。この先は原文に沿った翻訳です)


会議初日の会場、TCVの講堂は政府職員関係者で埋め尽くされ、自腹で駆けつけた人々は後方の列に座ることになった。カルマ・チョペル議長による開会のスピーチでは、特別会議の開催理由が述べられた。いわく、ダライ・ラマ法王はチベット域内の絶望的な状況を懸念してこの会議を招集した。いわく、本会議は中道政策の正当性を主張したり支持するために開かれたわけではなく、法王と亡命政府が危機的状況に取り組むうえで助けになるような様々な案や代替戦略を求めている。議長はさらに、亡命政府は他の選出グループの参加者とフォローアップの会合も続けていくことを検討している、とも付け加えた。

サムドゥン・リンポチェ首相のスピーチでは、否定辞の多用が際立っていた。この会議が何について「ではない」かを聴衆に伝えるのに多くの時間が費やされた: この会議は「中華人民共和国に圧力をかけるための政治的な戦略・戦術ではない。」「一連の交渉の失敗の責任を減じたり他者を批難するための」亡命政府による企みではない。亡命政府の現行の方針や「立場」を変えるためのものではない。現行方針への一般大衆からの支持を求めるために開かれたわけではない、等々。話の終盤に向かって、その防御的な姿勢はますます圧倒的なものになっていった。「強調しておかなければなりませんが、亡命政府は何も隠れた議題や計画を本会議の裏に隠しているわけではありません。内閣はこれまで政府の職務やプログラムについての声明を出してはおりませんし、本会議の議題に関して、何が正しいか正しくないかといったような発言もおこなうことはありません」

次いで参加者達はいくつかの委員会に分かれて、午後にはガンチェン・キション周辺の様々な場所で会合が持たれた。私は他の約30名の人々とともに第16委員会に入り、ネチュン僧院の教室で話し合った。引退した老・元閣僚メンバーが話し始めたが、2時間半も長々と弁舌をふるったため、残り時間は15分になってしまった。私はどうにか、次のような意見をさしはさんだ。11月10日の北京での会談で、中国が「実質的な」自治を求める法王の要求を決して受け入れないだろうことが屈辱的になまでに明らかになった以上、チベット亡命政府はまず第一に、中国とのこれ以上の交渉を打ち切る、と発表するべきだ。さらに亡命政府は、それが暫定的な措置か恒久的な方針かについては明言せず、あいまいなままにしておくべきだ。

翌日になって、中道路線推進派の戦略が明らかになってきた。インドやネパールのチベット人居住区の代表達は、おそらくダラムサラの指導によって、各コミュニティで会議の事前に開催されていた公の会合(市民集会)で文書化されていた議事録や決議文を読み上げることを、強く要請した。彼らはまた、一般のチベット人によって中道路線がほぼ全員一致で支持されていることを表明するべく、委員会会合の記録にも、市民集会の文書全体が含まれるようにと要求した。
いっぽう私は、「この特別会議は特に会議参加者からの新しい意見や戦略を提示したり議論する目的で開かれているのだから、中道路線や法王に対する公からの幅広い支持については別の機会に表明すればよいだろう」と、論じようと試みた。

ここで、先に述べた老閣僚もまた、この特別会議の記録に市民集会の決議文を含めることには反対する意見を述べた。彼はこの点に関して、興味深い解釈を披露した。
「11月10日の中国側の記者会見や、法王によるTCVでの10月28日の重要な声明(中国政府に対する信用の喪失)は、チベット政府の中道政策の基礎を根本的に変えてしまった。したがって、これら二つの重要な出来事の前に開かれていた市民集会の議事録や決議文は、一般の人々の善意や愛国的な思いから作られたものだとしても、今となっては現状を反映しておらず、的外れであろう。」
「今必要とされているのは、法王の直近の発言や11月10日の出来事を考慮したうえでの新しい案や戦略であり、この特別会議は、事前の討論や決議とかかわりなく、新しい議論がなされるのにふさわしい場であろう。」
だが、中道路線を固持する人々は、彼らの用意してきた文書全体を読み上げることに固執した。


(続く)
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by epea | 2009-02-17 00:22 | Jamyang Norbu

2008/12/09(火) 送り主のサイン

ジャミヤンさんから本が届いた。ブログ 『Shadow Tibet』で注文した本。業者から届くのかと思ったら、ご自身が郵送手配しておられるようだ。

ごく一部の記事を翻訳させていただく前に、念のため許可をもらっておこうとメールで問い合わせしているのだが、なかなか返事が来ない。ブログの更新も全体会議の前に止んだままだし、かなりお忙しいのだろう。いや、単にメールの文面から「こいつ、あやしい奴」と思われてしまったのかも(笑)。


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by epea | 2008-12-09 23:52 | Jamyang Norbu

ジャムヤン・ノルブ氏のエッセイ概要、追記しました


今回の特別全体会議において、ジャムヤン・ノルブ氏の主張は、いわゆる「独立推進派」側からの新しい提案の一つとして、注目を集めるのではないでしょうか。

というわけで、氏のエッセイの後半部分の概要を、昨日の記事に追記しておきました。
よかったら、ご参照ください。
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by epea | 2008-11-20 00:39 | Jamyang Norbu

ジャムヤン・ノルブ氏のランゼン(独立)エッセイ

特別全体会議の開催を契機に、ランゼン(独立)派の論客の論説が相次いでPhayulに掲載されています。

その代表格が、チベットNOW@ルンタでも度々紹介されているジャムヤン・ノルブ氏
ノルブ氏の流麗な長文エッセイは、春先から9月頃まで毎週のようにPhayulで掲載されていましたが、中道路線の停滞に業を煮やしたのかネタが尽きたのか(?)、10月に入って一ヶ月あまり、新しい文章の更新がなかったようです。

(実際、すでに5月ごろに
「交渉には何の進展もなく毎年同じパターンの繰り返しで、まるで出口のない悪夢、気がつけば自分も前に書いたものとそっくり同じ文章を書いてる、もうとっくにネタは尽きてる、云々」
といった、ボヤキにも似た告白を長々と書いていらっしゃいました。)

ところが今月に入って、ご自身のブログ"Shadow Tibet"にて、新たな論説を精力的に発表しておられます。

最新の文章、"Middle Way Metamorphosis"においては、中道路線維持派に対する論駁がわかりやすく列挙されていたので、以下に抜粋してみました。

(注)まともな翻訳ではありません。
というより、抜粋しているうちにだんだん、「ジャムヤンさん、本音としてはぶっちゃけトークで、こんな風に言いたいのでは?」と思えてきて、かるいノリで書いてしまった。
例によっていい加減な「超訳」です、まゆに唾つけて読んでください。

ジャムヤン氏による元の英文は、きわめて上品かつ緻密に組み立てられています。

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"Middle Way Metamorphosis" by Jamyang Norbu
『中道路線の変貌』

(ジャムヤン氏はこの論説の前半部分で、先の対談に関して、
記者会見における中国側代表の侮蔑的で空疎な態度をYoutube画像へのリンクを添えて
示しつつ、「中道路線に基づく『実質的な自治』を求める交渉は完全に失敗に終わった」と述べています。)

■中道路線推進派は、(中国によって対話交渉の終結が宣言されたに等しい現在にあっても)次の理由から中道路線を堅持するべきである、としているようだ。

1) インドを含む世界各国が、「独立」ではなく「中道路線」を支持している
2) もし我々(チベット人)が「中道路線」をあきらめて「独立」を目的に掲げたら、インド政府は我々の滞在を許さず、チベット人はインドから追放されるだろう

■だが、上記の意見は間違っている。以下、反論。

1) 世界各国は別に、「ウ・ツァン、アムド、カムの三地域からなるチベット統合および、中国内におけるその実質的な自治の確立」を支持しているわけではないでしょう。
単に、「交渉」の継続を支持して、中国指導部にダライ・ラマと対話するようにと、あくまで「促している」だけ。
はっきり言って、国際社会/国内世論に対するポーズだけ。
本気でチベットを支援して、中国市場を失うような真似はしないでしょう。

こういう各国リーダーの態度はチベットの件に限らず、世界中のあらゆる紛争に関していつもとっている、お決まりのポーズ。チベットだけが特別扱いされているわけじゃない。

2) 「独立を掲げたらインドから追放される」という考え方は、見当違いも甚だしい。
こんなことを言うこと自体、インド政府・国民に対して、失礼。亡命政府はこんな迷信じみた誤った考えを、一般チベット人の間に流布するべきでない。

だいたい、インドは現在、アルナチャル・プラデシュ州の帰属をめぐって、中国政府とバトルを繰り広げている 第12回会談を開催している最中。で、その会談の停滞ぶりといったら、われらがチベット・中国交渉と、いい勝負。

中国はアッサム州のテロリストに武器を融通しているらしいし、ネパール政府は今や毛沢東派にのっとられているし、インド国内の毛派も過激さを増しつつ急進中だし、中国海軍はインド洋上に展開しているし…… こんな状況だから、インド政界の中ではむしろ、チベットが中国から「独立宣言するだけじゃなく、何かもっとやってくれぃ」という期待の声が多いんじゃない?

***(以下、11/20に追記)***

■チベットでの一連の騒乱やチベット人による帰還マーチ、デリーでの大規模デモの発生などを受けて、インドのマンモハン・シン首相は、ダライ・ラマ法王を 「生きている人々の中で、最も偉大なガンジー主義体現者(the greatest living Gandhian)」と賞賛。
また、「インドは民主主義国家であり、インドにいるチベット人亡命者には政治的自由が保証されている」との声明を発表している。

■そもそも、中道路線では
「交渉」と「自治」の二つの要素に重点を置きすぎているのが、問題ではないか。

■元来、ダライ・ラマ法王は「非暴力主義」によって自由を獲得しようという一貫した姿勢によって、国際的に高い評価を受けてきた。
それは、ノーベル平和賞受賞理由にも明記されている通り。

■【ジャムヤン氏の提案】
「非暴力主義」を基本に据えたまま、ゴールを「自治」ではなく、「独立」へと変えればよいのではないか。
中道路線をこのように変更したところで、法王が国際的な評価を損なうことなどありえない。
元祖・非暴力主義のガンジーも、「(イギリスからの)独立」をゴールに闘ったのであり、
「(イギリス支配下の)自治」といった、中途半端な目標を掲げたのではなかった。

■とはいえ、実際にこの方針を、いかに具体的な行動計画に落とし込むか?が微妙なところ。
これについては特別会議で議論したいし、このサイトでも公表していく予定だから、これからも見守っていて欲しい。


(以上)
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by epea | 2008-11-19 00:18 | Jamyang Norbu